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地位・勲章でもって、藩主をコントロ-ルするのは、将軍の得意技 ー鍋島直正公伝を読む(1-5-13-1)

地位・勲章でもって、藩主をコントロ-ルするのは、将軍の得意技 ー鍋島直正公伝を読む(1-5-13-1)

 地位・勲章でもって、藩主をコントロ-ルするのは、将軍の得意技 ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-5-13-1)

第1編 公の出生以前と幼時

第5巻 財政困難と盛姫君入輿

第13章 佐賀の財政困難

・地位・勲章でもって、藩主をコントロ-ルするのは、将軍の得意技

・天下泰平の時代、徳川幕府は、諸藩に浪費をあおり、その財政をコントロールする政略を取った。諸藩は、参勤交代で莫大な支出を余儀なくされた。
繁栄する江戸は、虚栄の中心となり華美の都会となった。諸藩は、皆、幕府の政略に魅せられ、江戸の空気に酔いしれ、次第に分をわきまえない豪奢を競った。幕府の官僚も、またこれを扇動した。隣の久留米藩すら、少将(朝廷から賜る)に昇進した。

泰平の世にありては、階級の上下は、藩主に大きな影響があった。
階級が下位だと、登城には、小藩・弱藩の下に列し、藩主間の外交等、常に末席に座らざるを得ず、体面が極めて悪い。武士が、皇室から与えられる名誉を羨望(せんぼう)するのは、自然の情である。
この自然の名誉欲に乗じて、その与奪の権限をもって、諸大名を制御するのは、将軍の最も得意とするところでであった。
されば、佐賀藩主齊直公が、藩の困窮を知りながら、江戸勤務や参勤交代の華美を節約できなかったのは、幕府の術にはまったからである。

 なお、直正公が誕生し、これまで例がなかった将軍の娘盛姫君と結婚するに至ったのは、佐賀藩から求めたからではない。将軍家斉公は50人以上の子供をもうけ、大奥に沢山の姫君がおり、佐賀藩主は、将軍から強いて縁組みを命ぜられたのであった。1817年(文化14年)、直正公が4歳の時、盛姫君が3歳年上にもかかわらず、将軍から内々の意向があった。
佐賀藩にとっては、財政困窮の中、大苦痛を忍びてこれを受け入れるしかなかった。
1825年、直正公は、12歳で、盛姫君と結婚した。  その時、姫君の侍女・召し使いも随伴してきたため、化粧をもっぱらにするその虚栄・浮華(ふか・うわべばかり飾る)の慣習が佐賀にも及び、財政は惨憺たる状態なのに、外面では、体面の矜恃に努めて、華美・虚飾を事とすることとなった。

(コメント:いまも、江戸時代と同じく、地位・勲章を欲しがる人は多く、これは当局・政府の思うつぼで、思いのままに操ることができます。財界総理といわれる経団連会長になりたがる社長は多いでしょう。昔と変わりません。

 大名といったら、家来の妻でも自分の嫁にできる権力を持っているイメージでしたが、現実には、恋愛の自由・結婚の自由がなかったことがよくわかりました。もっとも、代わりに妾を持つことができたのです。正妻は江戸にいて、妾(通女中)は佐賀にいたのです。)

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