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地方議会の初めー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(6-33-96)

第6編  大政維新
第32巻 版籍奉還
第96章 佐賀藩制施行(明治2年ー1869年 56才)

・地方議会の初め

 当時、朝廷においても公論・公選の主張が盛んであった。佐賀藩参政の江藤新平もまた、将来の政治体制は議会を招集する体制となるとの意見を持っていた。そうであれば、この年に、村々の庄屋を投票公選で決めようと協議して、ついにこれを決行した。

   そこで、各郡令は、村の中で田地を多く耕す農民を適宜に選挙人に定め、適当な神社・寺院に召集した。村人は、握り飯を持ち寄って集合し、郡令が立ち会う面前で、庄屋の投票をした。その開票にあたっては,改名が容易に行われた当時で、氏もなく名も重んじられない農民であったので、旧名を書いたり、あだ名を書いたりしたものもあった。開票者は、これを読みあげる際、「源平とは藤吉のことなり」と呼ぶなどすこぶる喧噪を極めた。

 その選挙の結果は、朴訥・温厚であるが、事務に耐えない者が多く当選した。
 当選者の1人は 「ふつつかなれど、お上の為に一途に心得て勤める覚悟なり」と言ったところ、「村の中から公選された以上、これより村のために活動をするが肝心だ」と言い聞かせられ、「お上のご威光を被りて勤める心得なのに、村の者のためにするとは、私には勤まらぬ役目である」と言って、しょんぼりしたとの奇談もあった。

   実際、庄屋は室町時代まで賦課権限があった。田所に定めた地目台帳を執り、法によって年々賦課徴収をなしていた。官吏の廉直・貪欲が村の発展・衰退に影響することは、甚だしいものがあった。
 「草器(しょうけ)ぬき」といって徴収するものがあった。これは、機密費となり、賄賂としての効果を持つものとして知られていた。

 このように、公選庄屋の後、月に数回の村議会を起こして、風俗教化のことなどを申しあわせた。これが、将来立憲政治にはいる初めであった。

(コメント:お上のためならば喜んでその任務につくが、同じ村人の為であればやりがいがないと思うのは、今日でもありそうです。現在でも、宮内庁から何らかの依頼を受けたら無報酬でも引き受ける人がたくさん出てきそうですが、自治会の為という事では手を挙げる人は少なそうです。かたや名誉ある仕事と評価され、他方はそういう評価がされないからです。人々は、他人の評価で動くんです。)

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