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江戸時代の民事(行政)訴訟の実態(1)ー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-24-71-2 )

江戸時代の民事(行政)訴訟の実態(1)ー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-24-71-2 )

江戸時代の民事(行政)訴訟の実態(1)ー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-24-71- 2)

第5編  公の国事周旋
第24巻 国事周旋
第71章 薩長の国事周旋(文久2年 1862年 49才)

      ・江戸時代の民事(行政)訴訟の実態

・五カ国との新条約により、外国貿易の法規は一変した。幕府は、急激な変化によるトラブルを避けようと努めたが、往々にして、法律解釈を異にすることとなった。そのため、幕府の権威を損なうこともたびたび生じた。

 ・佐賀藩では、当時、軍艦製造費を工面するため、佐賀藩の商品を通貨に換算してオランダ商人に供給していた。そこで、ほかの外国人商人にも、同様に取り扱われるべきであると主張したが、長崎会所の解釈と食い違いが生じ、その解釈の是非を巡る争いを江戸に移送し、法廷を開くに至った。

 ・すなわち、佐賀藩の代品方が、長崎で外国人商人と貿易をする際も、その取り扱いを巡って衝突が生じた。その例として、去年、代品方の松林源蔵と長崎会所役人との間でトラブルが生じ、長崎奉行所は、これを江戸の勘定所に訴え、松林は江戸に召喚され、法廷で争うことになった。

・そこで、松林は、井伊大老や安藤老中に接近し、阿部老中の参謀筒井川路や海防掛勘定方に親交が深い佐賀藩の田中善右衛門に応援を頼んだ。なお、当時、接待の場所は吉原遊郭が普通であったが、田中は品川遊郭で接待するのを常としていた。

・田中は、「手続きはきわめて簡潔にし、事案が複雑になるのを避け、早く採決になるように陳述するべきである。」「法廷での供述は、尋問者が決まって白洲に出る前に申し合わせておくべきだ。」とアドバイスした。

・松林は、気が気でなかったが、出廷の前々日、田中から、品川の某遊郭に招かれ、おそるおそるそこに訪問した。すると江戸人1人と酒を酌み交わす※田中は、松林に向かい、「これが御勘定某です。」と紹介した。

次いで、法廷の話に移り、某は、訴訟(訴答)手続きについての心得と白洲の現状を説明し、「白洲は、公儀(幕府)の威厳を示すように構成されているので、誰でもその雰囲気にのまれるのは免れがたい。すなわち、戸が開く音もけたたましいのに、『なにがし家来なにがし』と呼び出しがあり、主尋問役、立会人、検使、目付など、正装でずらりと列席した前に、座らせられる。」「貴殿は肥前候の御家来であるから、何畳目のところである。態度は努めて平穏なるを良しとする。力みすぎると普通の態度を失ってしまう。」

「次に供述方法は、この手続きの場合、まず某の件から尋問を始め、進んで某件に移って争点に近づくべきである。注意すべきは、ただ、問われるままに答えるのは不利なので、ここというところでは、『お尋ねなれど、何々の事から簡単に申し上げる必要あります。』といって、そのことから供述すべきである。」

 「このようにして、争点に近づくと、尋問の声は高くなり、『早く争点について陳述すべし。』と催促される。そこで、落ち着いて、「証言は、次第にお尋ねの件に近づきつつあります。』と言った上、その後、簡潔に締めくくって尋問の説明に入るべきである。」「争点に入ると、必ず声を高くして尋問があるので、必ず、これこれという説明で話を詰めるべきである。そのときの態度は度胸を据え、覚悟をもって臨むとともに、論理的に話を進めて躊躇してはいけない。たぶん、初日の白洲はこのあたりですむだろう。」と詳しく解説した。(続く