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稼いだ財産は、相続人に残すか、自分で使うか? 井原西鶴のアドバイス。

稼いだ財産は、相続人に残すか、自分で使うか? 井原西鶴のアドバイス。

稼いだ財産は、相続人に残すか(自分で使わず、相続人に使ってもらうか)、自分で使うか? 井原西鶴のアドバイス。 稼いだ財産を自分で使わず息子に残した男と自分で使った男の話  井原西鶴「日本永代蔵」から

一,自分で使わず息子に残した男の話、「二代目に破る扇の風」・・ 巻の1

 人の家にあってほしいものは、梅・桜・松・楓よりは、金銀米銭だ。庭の築山よりは庭の倉だ。
商品を買いだめして、値上がりを待つのが一番の楽しみだ。
華やかな京にすみながら、芝居小屋に近づかず、島原の廓にもいかず、寺の坊主を寄せつけず、浪人どもに近づかず、ちょっとした腹痛には手製の薬で間に合わせ、昼は家業に励み、夜は家から出ず、小唄をこっそり歌い、無駄な事は何一つしなかった。万事に気をつけて1代で2,000貫目ガッチリため込んだ。
88歳で亡くなり、 21歳の一人息子が相続して生まれながらの長者となった。

 この息子、親にもまして、倹約を第一にし、大勢の親戚に箸1本の形見わけもせず、初七日の法事が済むと、 8日目からは商売をし、無駄金を使わぬよう詮索(せんさく)ばかりしてるうちに年もくれた。
菩提寺に参拝したが、その帰り一通の封筒を拾い上げた。なかには1歩金が1つ入って、島原の女郎に宛てた恋文だった。
そこで一つ島原を訪ねて、その女郎に渡そうと言う気になり島原に行った。ところが女郎は気分が悪く引きこもっているとのことで、「一生の思い出にこの金で遊べるだけ遊んで老後の話の種にしよう」と思いたち、酒にうかれた。
それから、次第にのぼせて遊びの格も上がり、太鼓持ちにおだてられ、仕込まれ、この道の通となって、派手に金をばらまき、 2,000貫目の遺産は塵も灰も残らず、「一度は栄え、一度は衰える」と、他人の家の玄関で我が身の上を歌い、お金をもらう、その日暮らしをするのであった。

二、「高野山 借銭塚の施主」から

 昔、難波の今橋筋に、ケチで名の通った金持ちがいた。一生、独身で通し、始末し、食事も養生していた。この男も、男盛りに、何一つ面白いこともせず、死んでしまった。
後に残した財産は、お寺へ寄付された。四十八夜の念仏供養をしてもらっても、役にもたたぬ。

 

 続いて、巻四の「茶の十徳も一度に皆」には、遺産をもらったお寺の話。

「残らず、菩提寺にあげたところ、住職は、思いのほかの幸せ、これを仏事に使わずして、京都に上り、野郎遊びに打ち込み、又は東山の茶屋の喜びとなれり。」

三,若い時稼いで年とって使う男の話 「煎じやう常とはかわる問い薬」 巻三

 「四百四病は、世に名医ありて 、健康を得たること必ずなり。
「人は知恵・才覚にもかかわらず、貧乏の苦しみ、これを治せる治療法ありや」と裕福な人に尋ねる。
すると、「今までそれを知らずに、40まで、うかうか暮らしてきたものだ。少し治療するには遅いが、まだ見込みがある。「長者丸」と言う妙薬の処方を伝授しよう。
早起き5両、家業20両、夜なべ10両、倹約10両、健康7両 これを朝夕飲めば、長者にならんという事はあるまい。

しかし、大事なのは、毒断ちすることだ。

美食と淫乱と絹物の普段着      女房を乗り物に乗せて贅沢をさせ、
娘に琴・歌かるたをやらせる  息子にいろんな楽器を習わせる(コメント:現在も、子供に、お金持ちの家庭育ちと思わせようと、弾きもしないピアノをかって、居間の邪魔者になっている家庭の何と多いこと、賢いのはヤマハ。世の母親はヤマハからころりと洗脳されてしまった。)
鞠・楊弓・香会・連歌・俳諧 ・座敷建築にこり ・茶の湯に熱中し(有閑マダムのお遊び)
花見・船あそび・昼風呂入り   夜歩き・博打・碁・すごろく
町人に無用な居合や剣術   寺社参詣・後生を願う気持ち(コメント:だから、お寺は儲かる。)
諸事の仲裁や保証の判を押す(コメント:保証人となるな、とは昔からあったんです)
新田の開発・鉱山の共同開発( コメント:昔から共同開発には金銭上の紛争が多かった。今も昔も、合弁事業はうまくいかない場合も多い。 )
食事ごとの飲酒・タバコ好き   ・あてのない京上り (コメント:東京に行っても、大しておもしろくもない。金を使わせられるだけ)  相撲の金主・奉加帳の世話役
家業の他に小細工や金の放し目貫に凝る   歌舞伎役者と知り合いとなり(コメント:追っかけ?)、揚屋と近づきになる
月8厘(年利9.6%)よりも高い利息の借金

まず、この教えを毒薬より恐ろしく、口はもちろん、心にも思うことがないようにつとめて、油断なく稼ぐことにした。

そして、大工が檜(けやき)の切れ端を落とすままにしていたのを拾って、箸を作り、次第に金持ちとなった。 40年の間に10萬両の手持ち金をためた。 70代になって、少しぐらいの不養生も苦しからずと、初めて飛騨紬にきかえ、磯魚の味を覚え、西本願寺別院に毎日参り、芝居を見物し、茶の湯の会を催したりした。

(西鶴曰く)この人は、老後も若い時と変わらず 、一生ケチで通したら 、富士山を白銀にしたくらい財産を持っていたとしても、結局は武蔵野の土か、煙となってしまう身となることを悟って、この世のあらゆる楽しみを尽くしたのだ。 人は、若い時蓄えて、年寄ってから施しが肝要だ。とても、あの世には持って行けず、といってもなくてならぬものは金、金の世の中。

(2014.12.26)

 

(コメント:金をたんまり稼ぎ、子供にたくさん残すより、生きている間だけは、痴呆症になっても高級なケアハウスに入居して優雅な生活をしたいと思って後見人もつけたが、おっと裁判所がそれを許しません。後見人が使い込み、後で裁判所が管理・監督責任を問われるのを恐れるからです。金をたくさん持っている痴呆老人の願いをききいれるよりも、不祥事を起こさないことです。その結果、いくら金が腐るようにあっても、当の老人はわずかな金で質素な生活をさせられ、残った資産が維持できれば、後見人はすばらしい管理能力があったと評価され、本人が死んだ後は、大して介護・世話もせず、本人が亡くなるのを指折り数えて待ち望んでいた相続人に多額の資産が受け継がれるのです。本人以外は、国も相続税もたくさんとれハッピーです。詳しくはここ

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