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蒸気船製造プロジェクトのエンジニア秀島が発狂し、同僚を斬殺するー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78-2)

蒸気船製造プロジェクトのエンジニア秀島が発狂し、同僚を斬殺するー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78-2)

蒸気船製造プロジェクトのエンジニア秀島が発狂し、同僚田中儀右衛門親子を斬殺するー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78-2)

第5編  公の国事周旋
第26巻 公武合体
第78章 将軍上洛、公武合体(元治元年 1864年 51才)

    蒸気船製造プロジェクトのエンジニア秀島が発狂し、同僚を斬殺する

  秀島藤之助は、沈思黙考の人物で、蘭学寮で学び、外の生徒が脱落する中で蘭学を修め、次いで長崎伝習所でも、蒸気、砲術、物理、数学を学んだ。さらに、オランダ教師について造船学等を学んだ。

幕府が咸臨丸を購入した後、その船に乗り込み、航海術を学んだ。ついで、咸臨丸に乗船して、アメリカまで航海した。アメリカで咸臨丸をドックに入れて修理する際は、それをじっくり観察し、あるいは質問するなどして学んだ。しかし、オランダ語しか勉強してなかったので、英語でのやりとりには不十分であった。
そこで、アメリカから帰国後は、長崎で英語を学んだ。

・元治元年の9月12日の夜、にわか雨の雷の音で、秀島が発狂し、突然、同僚の田中儀右衛門の寝室に入って、彼とその息子を惨殺した。秀島は血刀を持ちながら、「田中が魔法を使って雷雨を起こしたのを見届けたので、彼を一刀の下に打ち果たした。」と説明した。精神錯乱の発作であった。

 (久米は言う)秀島は、前記のように、蘭学寮の優等生で、寡黙、緻密で機械に強かった。刻苦勉励の末に度を超して、神経衰弱に陥った。秀島は非常な技能の持ち主で、特に蒸気船製造のプロジェクトでは、その主任となって励んでいたが、その過労に倒れて、このようになったのは文明のために惜しむに余りがある。
秀島は、それから廃疾者となって10数年で亡くなった。

(コメント: 田中儀右衛門は、田中久重の息子(養子)です。田中久重は、優秀な息子とその孫を斬殺されて、相当ショックを受けたことでしょう。田中久重は、その後、久留米から東京へ出て、東芝の前身を作ります。

この秀島については、小説家司馬遼太郎が秀島を主人公として「アームストロング砲」と言う小説を書いています。)

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