福岡の弁護士による借金 労働 家庭問題の相談    

貧しい老後と孤独の楽しみを説く貝原益軒のおしえ

貧しい老後と孤独の楽しみを説く貝原益軒のおしえ

貧しきは、富めるにまされり、足ることを知るものは心富めり、貝原益軒

養生訓・貝原益軒

養生訓・貝原益軒

 

1, NHKのクローズアップ現代では、老後に貧困状態になるのを「老後破産」と呼び、「孤独死」が悲惨なもので、これをなくそうと言う番組を組んでいます。加えて、それを真似した同じ論調の番組や記事が掲載されています。そして、その内容の最後に来るのは、ファイナンシャルプランナーの死ぬまでに数千万円の預金が必要だというものです。(貧乏人に囲まれたマザー・テレサは、そんなことは、決して言わんでしょう。)

しかしながら、年老いて貧ずしくても楽しく生きている人はたくさんいるのではないでしょうか。ひとり静かに本を読みたいのに、騒がしい人が側にいるのもうっとうしいものです。よけいなお世話です。

「養生訓」で有名な福岡藩の貝原益軒の教えもそうです(「養生訓」は、アメリカ人も感動したのか、英訳も出ています。)。以下、貝原の「楽訓」からの引用です。くわしくは、図書館でどうぞ。

      ・「足ることを知るものは心富(と)めり」と言う言葉があるが、その通りだ。小人は身が富んでも心は貧しい。むさぼりが多く飽くことを知らぬからである・・・老いては、いよいよむさぼらず、足ることを知って、貧賤を甘受するがよい。
・貧賤であっても苦難にあっても、どんな時、どんな所でも楽しみがないと言うことはない。座れば座る楽しみがあり、立てば立つ楽しみがある。行くにも寝るにも、飲食にも、見るにも、聞くにも、物言うにも、楽しみがないと言うことはない。・・・欲が深ければ楽しみを失う。なお飽き足らず楽しめない。(むさぼる人、むしり取る人が、そうでしょう。)
・「貧しきは、富めるにまされり」という言葉がある。「読書は貧者の楽しみ」という言葉もある。私などは愚かで貧しいから、ちりあくたの数にも入らぬ身であるが、書を読み道を尊ぶ楽しみは、どんな富貴にも代えがたい。
・心が安く、身がのどかで、一人座っているのも、また貧居の楽しみである。世俗の宴会・パーティを好み、さわがしい友が多いのよりもよい。学を好まない人が訪問してこないのは、かえってありがたい。心ない人が、自分がひまで退屈なので、訪ねてきて長居するのはやりきれない。

・貧しいが餓えと寒さの心配がなく、粗食でも口になれてしまえば、その味があり、しつこい美味をうらやまず、淡泊なのはかえってよろしい。 布の着物、紙の寝具でも、多少寒さを防げれば、それでよろしい。荒屋にすんでも、風雨のうれいはなかろう。もし、幸いに、書を多く蓄え本棚に並べていれば、貧とはいえない。これは宝で、つづらいっぱいの金に勝っている。
・多くの人の楽しみはみな外欲にある。これをほしいままにすると、かえって我が身のわざわいが起こってくる。老いては心を安らかにし、身を楽にして貧賤に甘んずるのが、折りに叶ってよろしい。

・およそ、人はみな、かりそめの定めのない身を持ちながら、死期の近いのを知らず、間違って百年の計を立てている。・・死期の近くにあるのを忘れてはならぬ。・・・尽きるものは尽きるがよい。くよくよすることはない。

・「上にくらぶれば足らざれども、下に比べればあまりあり」という言葉がある。自分より下の人を見て、我が分を楽しむがよい。上をうらやんではいけない。もし、我が身に不幸があったら、古今の大きな不幸にあった人のそれに、自分の不幸を比べてみるとそれほどでもなくなり、うらみがなくなるだろう。これはつたないように聞こえるが、いにしえの賢者の教えである。これをやってみると効果があることがおおい。捨てがたい。

・立場は違いますが、宮本武蔵が、死ぬ1週間前に書いた「独行道」にも、似たような名句があります。

・老いた身に 財宝土地もつ心なし
 ・私宅において、のぞむ心なし
 ・身一つに 美食を好まず
 ・高価な骨董品なる古道具を所持せず

・曹洞宗の永平寺では、道元禅師の命日のごちそうは、「芋の葉をゆでて、これを白和えにしたもの」でした。昔の永平寺の食事は、「汁の身が里芋の葉」でした。沢木興道 禅師は、「まずかった。」と言っています。(それに比べれば、現代日本のどんな食事も、ごちそうです。)

2,不幸な例については、ブルクハルトが、「イタリアルネッサンスの文化」で、ピエーリオ・バァレリアーノの「学者の不幸について」という著作を引用しています。そこでは

動乱の時期に、まずその収入を失い、ついでその地位を失う人々、2つの地位の間で迷って結局2つとも失う人々

自分の金を着物に縫い込んでいつも持ち歩き、それを奪われて狂い死にする人間嫌いの守銭奴

牧師となり、教会の手当を受けながら、以前の自由が恋しくて、ふさぎこんでやつれる人々

熱病やペストのために早死にして、苦心して書き上げた著作も、寝具や衣類とともに焼き捨てられる多くの人々

貪欲な従業員に殺された人々

旅の途中、山賊に捕えられ、身代金を払えず誘拐のうちにやつれ果てる人々

神童と呼ばれる子供をもうけたものの、その神童が死んで、悲しみのあまり自分も死に、そして間もなく子供がみんなを連れて行くように母親とその兄弟がその後を追う

以上、「世界の名著」45巻の323ページから

 

3, また、死ぬまで働くのも不幸だという論調も多いです。しかし、宗教改革者マルチン・ルターは、死ぬまで働くのは当たり前で、次のように言っています。ほかに、ルターの言葉として「明日死ぬとしても、今日も木を植えるだろう」というのもどこかで見たことがあります。日本でも、城山三郎の「人生余熱あり」で同趣旨の本があります。 マスコミの論調は、金太郎飴みたいで、異なる意見を取り上げません。

 人は働かねばならない。労働で死ぬものはいない。だが、人は何もせず、怠けていては、体も命もだめにする。

4、他方、日本人向きの名句もあります。
禅僧玄賓 僧都が 読める

「山田守る  僧都(そうず=僧官:ここでは「かかし」か?)の身こそ  哀れなれ
 秋果てぬれば   とふ人もなし」

シーンと寂しさが漂ってきます。

「蝸牛(かたつむり) どこで死んでも家の中」 孤独死・在宅死のお手本。

5,   冒頭の「年老いて生き残るための金が必要だ。」といいますが、それでどうするんでしょうか。さらに、前期高齢者になって、もうすぐ後期高齢者になることを考え、そのための金を稼ぐために、こま鼠みたいに働くのでしょうか? 働くのはいいとして、同時に、ゆったりと本を読むとか、釣りをするとか、友人と語らうとかが必要でしょう。常に、将来のための準備のために、今を犠牲にして、寿命が尽きようとしている間際まで、死んだ後の葬式のことやお墓のことまで準備しても、きりがありません。お墓を作っても誰かお墓参りをしてくれるほど、生前に親しい友人・家族がいなければ、どうしようもありません。

関連記事
老後破産から生活保