アヘン戦争で、佐賀藩の石炭事業は大いに潤った。ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-12-37)
第3編 政績発展
第12巻 オランダ使節渡来
第37章 阿部閣老と薩摩の斉彬候(1843年天保14年、直正公30歳)
・幕府の老中水野が免職となり、阿部が老中となる。
・直正公は、家来に江川太郎左衛門から西洋火術を学ばせ、自らも西洋の砲術・銃陣を会得する。
・佐賀藩と薩摩藩は、ともに反射炉を作り、鉄製の巨砲を製造する企画を持っていた。薩摩藩は反射炉の築堡にのみ成功したが、佐賀藩は反射炉と巨砲の製造の両者に成功した。また、天草に軍港を開く計画を懐いた。
・ 蘭方医伊東玄朴・大石良英を侍に召し出し侍医とした。