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オランダに注文した蒸気船2艘と帆船6艘の代金の工面方法は?ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-57-6)

オランダに注文した蒸気船2艘と帆船6艘の代金の工面方法は?ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-57-6)

オランダに注文した蒸気船2艘と帆船6艘の代金の工面方法は?ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-57-6)

第4編 開国の初期
第19巻 長崎陸海軍伝習
第57章 長崎におけるオランダ人講習(伝習)の開始(安政2年 1855年 42才)

・佐賀藩は、オランダに注文した蒸気船2艘と帆船6艘の代金をどうやって工面したか?

 ・佐賀藩は、貿易品、すなわち、石炭、白蠟、小麦と陶器でまかなった。
・従来、佐賀藩貿易品の主たる物は陶磁器であったが、多量に製造していた日用品の陶磁器は人気がなく、いわゆる「古伊万里」が人気があった。
ただ、青藍彩の担当と赤彩の担当は、それぞれ分業化され、相互に兼職してはならない掟があったため、オランダからの需要が多かった赤彩の製造は多量にできず、輸出も多くできなかった。

・石炭は、クリミヤ戦争で需要が高まり、価格も急騰し、輸出の主要品となった。
・白蠟も主要な貿易品となった。
・最も確実な財源は、新田開発であった。現在の川副町、白石町の新田開発がそうである。新田には綿花を植えて紡績し、「白石木綿」として売りだし、綿花・紡績業は主要産業となった。

(コメント:遠く離れたクリミヤ戦争の影響で、佐賀藩の石炭産業が潤ったとは驚きです。)

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