基本方針を変えるのはむずかしい2:オランダ国王からの開国を勧める国書と幕府の返事ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-40)
第3編 政績発展
第13巻 海防提議(防衛の提案)
第40章 筑前と長崎砲台増築を協議す(1845年弘化2年、直正公32歳)
・オランダ国王からの開国を勧める国書とその返事
・江戸幕府の元では、大名は、ほかの大名と私的に面会するのは禁ぜられていた。しかし、今回、オランダからの国書が届けられたため、筑前藩と佐賀藩は、長崎砲台増築を協議することとなった。
・オランダ国王からの国書の内容は、次のようなものであった。
近年、支那は、イギリスと無益の戦いをなして、敗北して和議を乞い、5港を開いて交易の場所としました。
ヨーロッパでは、機械文明の発明が多く、手作業は必要でなくなりましたが、諸国は財貨が不足しています。イギリスが特にそうです。アヘン戦争で支那人の死者は数千人、城は略奪・蹂躙され、数百万の財貨をイギリスから奪われました。いま、このような危険が日本に及ぼうとしています。