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薩長土肥だけが、幕末から明治に活躍できた理由?(鍋島藩) 起業のヒントを探る:九州・山口の海外進出(交流) (4)

薩長土肥だけが、幕末から明治に活躍できた理由?(鍋島藩) 起業のヒントを探る:九州・山口の海外進出(交流) (4)

薩長土肥だけが、幕末から明治に活躍できた理由?(鍋島藩) 起業のヒントを探る:九州・山口の海外進出(交流) (4)

薩長土肥だけが、幕末から明治に活躍できたのはどうしてでしょうか?(鍋島藩) 起業のヒントを探る:九州・山口の海外進出(交流) (4)

鍋島藩(佐賀藩)の場合

1,海外事情に通じ、蘭学を奨励する

鍋島藩は、江戸幕府から福岡藩と交代で長崎警備が命じられていました。
長崎に入港したオランダ船や中国船から、海外事情を記した「オランダ風説書」「唐風説書」が長崎奉行を通じて幕府に提供されていたことから、長崎警備を担当する鍋島藩は、海外情報に通じていました。
1808年、 イギリス軍艦フェートン号が長崎港に侵入し、オランダ商館の引き渡しを強要します。そこで、その責任をとって長崎奉行が自殺します。番所責任者2人が切腹するというフェートン事件が発生します。

 

(コメント:海外事業に通じていたということは、日本や佐賀藩の置かれていた立場を客観的に評価できたということでしょう。ほかの藩は、徳川幕府の鎖国政策で、国の鎖国の上に、各藩毎の鎖国とあいまって、自藩や日本以外のことなど、まったく知識がなかったのです。

「鍋島直正公伝」にも、幕府が、パリ万博への参加を各藩に問い合わせ際、「当時は、国内の騒動に加えて、西洋知識あるものも極めてとぼしかったので、これに応ずる藩はとてもなかった。しかし、直正公は、これを聞くや、直ちに参加すると決し」とあります。努力して、海外事情に通じ、自分の置かれた位置を知ることが必要なことがわかります。これが、今後の方針を決めるのに役立ちます。)

 

2,反射炉の築造や大砲の鋳造といった軍備の近代化

そこで、鍋島藩は、反射炉の築造や大砲の鋳造といった軍備の近代化を推し進めます。鍋島藩においては、蘭学を学ぶ事は西欧諸国を学ぶことであるとして、医学、軍事、洋式砲術を研究させ、長崎の海軍伝習所には、最多の48人を参加させます。
蘭書を購読し、翻訳します。翻訳したからといって、反射炉や、鉄、大砲が簡単に作れるわけはありません。反射炉では、16回失敗を繰り返します。鉄を溶かすことができないのです。出来上がった大砲は、ことごとく試射すると、破壊してしまいます。鉄が耐え切れないのです。こういった難問を試行錯誤で解決していきます。そして、成功します。

・1851年 鍋島藩は、伊豆の江川坦庵の協力も得て、鉄製大砲を鋳造するための反射炉を完成させます。この反射炉を使って大砲の鋳造に成功します。

・1855年   藩主鍋島直正自身が、オランダ商館を訪れ、蒸気軍艦スンビン号に乗り込み、その場で買い入れを申し込むも断られます。
・1858年 早津江川沿いの三重津で、海軍所造営に着手します。
・1867年 パリ万国博覧会の参加について、幕府より問い合わせがあり、鍋島藩はこれに参加し、磁器、白蝋、紙、麻を出品します。同時に海外の事情を調査させます。鍋島藩以外には薩摩藩が参加します。

鍋島藩の大砲

鍋島藩の大砲

三重津海軍所

三重津海軍所

 

 

 

 3,財政改革

鍋島直正が藩主になった 1830年には、江戸から佐賀に向かう際、借金とりに引き止められて出発が遅れたと言うことがあったくらい財政は逼迫していました。
そこで直正は「粗衣粗食令」を出して倹約に勤め、大阪商人からの借金に対しては、 1部返済し、残りは70年とか100年分割払いとさせました。士農工商の特権です。現在の民事再生や会社更生で、100年分割払いを提案したら、一蹴されたでしょう。藩主鍋島直正は、算盤大名とのあだながつきます。

「国産方(こくさんかた)」を設置して、煙硝(火薬)・櫨蝋(はぜろう)・ 楮(こうぞ)の生産を促進し、これらの生産物や陶器などを海外に輸出して莫大な利益を得ます。また、鍋島藩内の山城に炭鉱を見つけ、炭鉱の発掘に乗り出し、掘った石炭は長崎を通じて中国・上海のイギリス人に売り出し、利潤を得ます。
その利益で、外国から蒸気船を輸入します。また、これらの利益で、反射炉築造や大砲鋳造を進めました。

4,「鍋島直正公伝」は、鍋島藩を中心に、幕末から、明治にかけての歴史的な出来事が綴られています。

非常に詳細に歴史的順番に沿って(編年体)、かつ項目を立て具体的史実に基づきかつ詳しく書いてあります。全7巻で、 7巻には詳細な索引が作成されています。最近のコンピューターで同じ文字を選択するのと違って、内容を吟味して作成されています。作成に膨大な時間がかかったようです。このように丁寧に作成された文献は、これまで見たことありません。貴重な歴史的資料です。

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