佐賀藩では、幕末、西洋の通信機を見本に自ら通信機械を製造したー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-20-61)
第4編 開国の初期
第20巻 陸海軍とオランダ・アメリカとの条約改正
第61章 オランダ・アメリカ条約改正(安政4年 1857年 44才)
佐賀藩では、幕末、西洋の通信機を見本に自ら通信機械を製造した
・1854年、オランダ国王から幕府へ テルガラフ通信機械を献上した。オランダ領事は、「これは最新の発明で、イギリスをはじめ各国は皆これを設置している。これは、針金で遠隔の地へ瞬時に通信することができる文明の器械である」と説明した。直正公は、政治と軍事上必要の器械であると考え、佐賀藩の精錬方の中村、石黒、田中らに命じて、その製造を試みるよう命じた。中村らは、この通信器械の製作に成功した。現在、諫早市にあります。国の指定重要文化財です。