佐賀藩の刑事訴訟手続きと誤った司法役人人事ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-8-22)
第2編 公の初政治
第8巻 二の丸 焼失
第22章 士政振励
・ 佐賀藩の刑事訴訟手続きと誤った司法役人人事
・ 佐賀藩の刑事訴訟手続き概略(管轄は藩内で起きた事件で、幕府や他藩に関係ない事件のようです。藩の名誉を毀損するとかの事件は幕府が管轄します。後述。)
1、犯罪を行って逮捕された者は、まず、一応、番宅で尋問される。これを「番宅調べ」と言う。現在(大正時代)の警察での取り調べと同じようなものである。
番宅には、手明鑓(WEBで見ると、半農半士の下級武士と書かれていました。調査未了)の獄事に練達した物に命じて、常駐させていた。
尋問するのは、「究役」といい、侍の中から数人を任命していた。その班長を「盗賊方」と言い、物頭から任命する。盗賊方は、目付立ち会いの下で、被告人の尋問をしていた。現在(大正時代)の「予審」のようである。盗賊方は、予審判事の長に当たるが、裁判権はない。
その尋問の供述調書は、請役所に送られる。毎月、一定日に、「請役相談役」が、さらに尋問をする。これを「立会調べ」と言う。これで終審である。これで、結審となり、擬律(法を適用して)判決をする。
請役相談役が、判事として、裁判をする。