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佐賀藩の負債ー破産寸前ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-10-.32)

佐賀藩の負債ー破産寸前ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-10-.32)

第2編 公の初政治
第10巻 天保の飢饉、将軍の代替わり
第32章 治茂公逝去 1839年(天保10年) 直正公26歳

    負債整理:私的整理

・当時、佐賀藩の江戸屋敷の借金は13万両の巨額に上った。
・結局、江戸屋敷の未払い金の内、2割を支払、残り8割は献金として処理するように申し向けた。
(久米は言う) この処理は、今日(大正時代)から見れば、ほとんど略奪に近いものである。しかし、200年来、このようなことは、他藩でもしばしば行われたところで、それほど驚くに当たらない。
諸藩の御用達商人は、なんら競争なく、その御用達株で家計を立てており、強制的に献金をさせられたとはいえ、結局一種の交際費と見なされるほどのものである。

その他の負債
・一橋家に対して:元利4200両あり。200両を返済、残金4000両を毎年218両の20年払い。
・馬喰町の借用証書による借金:元金3万8000両が利息が付いて、12万両となった。毎年2200両を返済し、これまでの利息及び完済までの利息は年賦払いとすることで、準消費貸借契約を結ぶ。証文書換え。
・当時の佐賀藩江戸屋敷の予算1万5000両の内、5000両しか準備できず、やむを得ず、またまた2万両の拝借金をして、しのぐことになった。
・そのほか鹿島両家からの元金1万両の借金が1万5000両となり、支払なければ公訴を起こすと言われ、江戸詰め役人は、苦痛を極めた。

・当時、江戸城西の丸が炎上し、各大名は献金を求められた。佐賀藩の場合は、4万2414両のお手伝金という献金をさせられ、また、負債が増大した。

コメント)破産申立寸前の状況です。

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