佐賀藩民の教育ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-9-27)
第2編 公の初政治
第9巻 関札暴行事件
第27章 士民の教育
・文武の奨励、市中鄕村に教導所を設立す
1,關札侮辱事件の結果、佐賀藩士が武力に片より無学なのをあらためるべく、弘道館の成績によって人物を起用し、文武の業に精を出した者には、適任の職がなくとも、賞として蔵番や関所番等に採用することとし、これを下級武士救済の方法とした。
よって、賄賂によって買官していた従来の悪しき習慣を一掃した。その結果、佐賀では、買官の言葉を聞くことがなかった。
しかし、就職の時期である秋になると、弘道館の出席日数を多くする者も少なくなく、中には当局者を歴訪してお願いするなど、学問武芸を猟官の手段にする弊害を聞くようになった。そのため、弘道館に熱心に通う者をさして、「門番の希望者」とあざける者が出てきた。
すべて、政府が学芸の奨励をなすのは、出世・権勢欲を煽るものであるとの評価を免れないが、逆に言えば、このような評価があるのは、弘道館が振興して、知能を競える象徴となったからと見なすべきである。