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先見の明の事業も、当時は冷笑さるー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-39-2)

先見の明の事業も、当時は冷笑さるー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-39-2)

第3編 政績発展
第13巻 海防提議(防衛の提案)
第39章 海防議の前提(1845年弘化2年、直正公32歳)

   ・先見の明の事業も、当時は冷笑さる

・佐賀藩では、射撃・銃陣の演習を奨励したこともあって、火薬の消費が増大した。そこで、直正公は、「国産方」(藩営の事業所の一つ)で、火薬の原料となる煙硝の製造を促した。
また、そのころ外国貿易に関心をもつようになったため、オランダ船との貿易に適した物産の製造を奨励した。これは殖産興業に必要なもので、読者の中には、やや時期に遅れた感を懐く者があるかもしれない。 しかし、現実はその逆である。

 佐賀藩は、倹約を勧めて奢侈を禁じたため、直正公が「国産方」で、海外貿易に適した物の製造を奨励すると、そんなことで利益を上げるのは武士の生業に似つかわしくないことであり、藩の官吏も、藩の政治の範囲外で多くの事業を営むのは、害あって利益も少ないことであるとして冷笑し、直正公の余りにも才知にはせた好奇心に出でたる事業であると冷ややかに評価した。

 くわえて、藩内では、功利を好む者が君主に迎合して企てたものであると言う者があった。他の藩からは、算盤大名と風評された。

(久米は言う) このように、時代の世相に一頭地をぬきんでて、少しでも先見の事業を営もうとすると、世間の悪評は毎度のことである。ただ、公には、自分の考えがあり、国産方を拡張し、農産物以外の事業を興して利益を拡大し、国防の費用に充てるとともに、海外に雄飛する資金を得ようと努められたのである。ただ、時代の考えに先んじたものであったため、その成功は予期したほどではなかった。

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