先見・卓識とは何か。=直正公の考えと計画ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-38-2)
第3編 政績発展
第12巻 オランダ使節渡来
第38章 オランダ使節船渡来(1844年弘化元年、直正公31歳)
・先見・卓識とは何か。=直正公の考えと計画
(久米は言う) 直正公の心底の考えは、容易に伺うことを許さないが、表面上は、攘夷論を主張し、「民はこれに由らしむべし、知らしむべからず」との方針であった。
当時の攘夷論者は、外国の文明・知識を吸収して、時もそれほど経過していないため、多くの者はこれを痛く排斥していた。そこで、事を急がず、大衆が覚醒するように努め、機を捉えて徐々にこれまで研究した火術・平成・理化学等を発表し、世界の情勢が日本へ迫ってきてから、公にされた。それまでは「由らしむべし、知らしむべからず」の方針であった。