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出島でのオランダ人との交際は極めて厳しかったー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55)

出島でのオランダ人との交際は極めて厳しかったー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55)

出島でのオランダ人との交際は極めて厳しかったー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55)

第4編 開国の初期
第18巻 開国の初歩
第55章 オランダ人伝習の起こり(安政元年 1854年 41才)

出島でのオランダ人との交際は極めて厳しかった

 ・長崎御番方における外国人との交際は厳禁
オランダ将校に、出島で質問するにも、 出島に出入りするにも、検使の立ち会いを受け、不取締がなきよう心付くべしとの願書を出して許可を得た上
さらに誓約書を出さねばならなかった。

その誓約書には
・キリシタン宗門のことはもちろん、親子兄弟知人の依頼は一切取り次ぎません。
・オランダ人に対し、雑談はもちろん交易・贈答品・音信等一切しません。
・面談が済めば、早速退散します。
・検使の立ち会いがないときは一切対談しません。

末文には、一つでも違反したときは、梵天帝釈、諸神仏の罰を受けますとの紙片に血判を押すようになっていた。
しかも、検使の立ち会いは極めて厳しかった。

・直正公は、オランダに
80、60ポンド砲、ドントル銃3000挺、火薬製造機械等を注文した。
晴雨計付き寒暖計を2個買い入れた。
・蒸気船を買い取り、これを見本に研究・建造することにした。

・7月28日、オランダ軍艦2艘が渡来する。しかし、注文していた蒸気船は来なかった。英仏両国とロシアの戦争で、輸出できなかった。代わりにジャワで製造するとのことであった。これからは季節風に左右されない蒸気船に限るとし、1艘3万5千両とのことであった。そのため、運転技術を教える人員を派遣してきた。
オランダ商館長キュルシウスは、オランダに対しても「最恵国待遇」を要求し、電信機の発明が有り、日本でも使用するように勧告し、18個を送呈した。
・幕府は、オランダ国王の厚意に報いるべく、米国に許すことはオランダにも許すことが政府の方針であることを伝えた。

・佐賀藩の本島等は、キャップテンに、銃の鉄の品質や反射炉について質問したが時間が足らず、さらに15日間の延期を願い出て、鉄の塊4個、硝酸、塩酸、硫酸、アルコール入りの箱を持参して実験を願ったが、検使は、本島等のキャップテンに対する応対が「議論がましき質問」をしたといって、以後オランダ館の出入りを禁じた。
・また水夫等に、蒸気船の運用、造船術、大小砲の操縦をならわせた。これが日本における海軍創設の初めである。

・8月26日、公は、オランダ軍艦に乗船した。キャップテンは、いずれは蒸気軍艦を多数用意しなくては不可なりと言った。公は「しからば、この船を所望したし。」と頼んだ。キャップテンは意外な返事に驚き、「当船は応じがたい。ご注文あればいつでも斡旋します。」と注文を受けた。後日、この船は幕府に献納されて「観光丸」となった。

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