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医者・茶人の実態は、佞幸(ねいこう:へつらい屋か)?ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-3-9-2)

医者・茶人の実態は、佞幸(ねいこう:へつらい屋か)?ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-3-9-2)

医者・茶人の実態(江戸時代・佐賀藩)は、佞幸(ねいこう:へつらい屋)か?ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-3-9-2)

第1編 公の出生以前と幼時

第3巻 齊直公の政治

第9章 文化の奢侈状態

・医者・茶道の実態(江戸時代・佐賀藩)は、佞幸(ねいこう:へつらい屋)か?

・そもそも、医者・茶人は、ともに武士の末席に列するけれども、頭を丸め、十徳(じっとく:江戸時代に医者や茶人が着ていた着物みたいなもの)を着て、奥向婦女の間でまじわっていた。したがって、その俳優・幇間(ほうかん:ご機嫌取り)のような扱いを受けて、宴会の盛り上がりを助け、大名の娘たちに近づき、婦人の縁談や仲人・媒介になっていた。それからすれば、医者・茶道を佞幸(ねいこう:へつらい屋)を本文とするというのは、当時、大名の家では普通のことであって、あえて異とするに当たらない。

・しかしながら、医者・茶人の中にも、学識があり、気力のあるものは、このような扱いに満足せず、侍としての本領があるものもいた。中にも、医者の家柄には、多くの学者を出し、大名の居間で、時政に関して、アドバイスするものもいた。
その中でも、大須賀は、侍医となったが、奥向(大名の奥方)には親しくせず、津田も、通女中ふたりの仮親となって媒酌をしたけれども、その人格はすこぶる高潔で、節操があったと聞いている。

(コメント:・テレビドラマにあるイメージと違います。広辞苑の茶道の意味:「茶の湯によって、精神を修養し、交際礼法を極める道」とも実態は違います。茶坊主の意味、「権力者におもねる者」が実態に合っています。現在でも、茶道と言うと、○○家・流?とかいい、暇をもてあそばしている女性が、高価な着物をこれ見よがしに着て、貧乏人に見せびらかすためにあるようです。ひたすら、ややこしい規則をつくり、茶室では、それを知らないと、作法を知らないとして格下に見下すべく存在意義があるのでしょう。)

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