地方創生のヒントを佐賀藩に探る|佐賀の飯は旨い|牛痘接種ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-43)
第3編 政績発展
・日本で初めて始めて種痘接種を行う
・国産方を新設して民の生業をはかる
しかし、これを実施した結果から見てみると、藩の財政を倍増したのには間違いはない。直正公は、攘夷の準備が成功した後には、世界に出て行く意志があったことを忘れてはならない。
・ここで、佐賀藩と近隣の藩との生活レベルに触れておこう。
一方、肥前藩は、先代までの百年の間、華奢に誘われ、倹約もやや緩み、稻田も多く、純米を食し、囚人も、「佐賀は拷問懲戒はすこぶる厳しいが、飯はうまい」と言ったくらい食事も美味で、衣服には木綿の縞を着て、絹打ち紐をつけ、家屋や什器も華美に見ゆるほどであった。直正公は、これを緊縮されたが、肥後に比べれば、奢りに近かった。
- 攘夷論は気概があると言われ、開国論は外国迎合者だと言われて排斥さるー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-42-3)
- 質素倹約(もったいない)では産業(殖産興業)は起きないー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-43-2)