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基本方針(鎖国)を変えるのは難しい。攘夷論と開国論。ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-39-1)

基本方針(鎖国)を変えるのは難しい。攘夷論と開国論。ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-39-1)

基本方針(鎖国)を変えるのは難しい。攘夷論と開国論。ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-39-1)

第3編 政績発展
第13巻 海防提議(防衛の提案)
第39章 海防議の前提(1845年弘化2年、直正公32歳)

   ・基本方針(鎖国)を変えるの難しい。攘夷論と開国論

・オランダ使節が、好意的に開国を促した国書に対する提案
1,鎖国遵守。水戸斉昭の意見:
オランダからの国書には、「必ず、天主教を布教することと貿易を求めることがあるに違いない。また、土産にはギヤマンなど無益なる玩具があろう。」と予想していた。
国書を読んだ感想として、
「オランダもすこぶる利口で、なかなか油断はならない。ことわざに、「おためごかし、よけいなお世話」というのに相当する。少しも私心がないと言うけれども、表面では貪らず、陰に貪る彼らの策略は、「一穴の狐、三穴のうさぎ」と洞察できる。
日本は一小国にて人民も多く、かつ忠信、義勇、豪傑の性格であるから、彼らも無理に戦争しては利益にならないと考え、貿易・通信などにこと寄せて、中国(支那)の失敗などを説明し、次第になで込む手段は、明らかだ。

 外国船の寄港に対して、官吏の視察もなくし、打ち払いもやめることにするから、こちらの動静を推察して使節船を差し向けるのだ。このうえは、どこの海岸も十分に警備し、打ち払えと天下にお触れをだし、船長にも通達すれば、必ず使節船は来ることはないと察せられ。いずれにしても、打払令中止は、遺憾だ。今後は、中国、外国等の夷狄は、長崎のほかへは一切寄せ付けぬというのが一番の良策だ。・・・中国・オランダとも交易を禁じるのが相当だ。」

(久米は言う)これは、当時、聡明で気力ありと称された人の意見である。当時、開国を論じて牢獄につながれた人もあり、世論としてはこのような傾向であったろう。
その心理に立ち入って考察すれば、日本が小国と侮られることによる恐怖心があるとともに、耶蘇教にたぶらかされるという猜疑心もあり、彼らが武器の強力なことに対する畏怖心があって、逆に排撃せんとする闘争心もあったろう。その由来するところは、一つではないが、国土防衛は不十分で、時期、すでに遅れ、急に浦賀に砲台を築こうとしていた状況では、このように考えるしかなかったのであろう。
(当時、幕府は、奢侈に無駄使いをして予算がなく、防衛の必要性は認めていたが工事に着手できなかった。)

2,開国論。
直正公の奥に秘めたる観上げを知ろうとすれば、師であった古賀穀堂の弟同(人偏がつく)庵の所論を考察しなければ、伺うことができない。その所論は、
「日本は、海中の孤立した地であるから、鉄砲・船艦が必要である。日本人の過去、200年前の歴史によれば、海戦をさけ敵の上陸を待って応戦しようとする戦略は、うかつであるというべきである。平和になれた今日の士気は頼みがたい。現在の兵器は、鉄砲の威力を主とする。鉄砲の銃陣を足軽などのこととしてこれを軽蔑する者があるが、これほど愚かしいことはない。

 現在では、鉄砲を製造して準備し、火術を研究し、船艦を製造し、航海術を練習し、1600年代の古にかえり、インド、タイ、ベトナム(天竺、シャム、安南)等の地方に赴き、盛んに貿易をなして富国の道を図るべし。これは、祖法と違うものではない。古に閉じたるを今開くものにして、鎖国・開国は、時勢を制する政策に他ならない。ひたすら守るのは愚かの至りである。かの耶蘇教も憂うるに足らない。耶蘇教で他国をだまし取ったのは昔のことである。今の西洋諸国が他国を侵略するのは、もっぱら兵の威力による。」というものであった。これは、直正公に代わってその趣旨を述べたのではないかと感じられる。

 (久米は言う)同庵の意見は、老中阿部にも述べられたと思うが、鎖国の底に沈んだ幕府としては、攘夷のほかに存続の道はなかった。攘夷の軍備もできておらず、開国は時期尚早で論じがたかったのである。

(コメント:
・斉昭の予測は当たっています。しかし、日本やそれを取り巻く西洋諸国の経済力・軍事力等の認識が薄弱です。事実を謙虚に見てみるという姿勢が欠如しています。

・変化のさなかにある人々の対応は今も昔も同じです。権力の中枢にいる人々にとって、その基盤となる方針が周りの状況に対応できなくなり、脅かされる状況になれば、恐怖に駆られ保守的になり、結局、変化に対応できず、滅びることになります。
変化に対応すると言っても、些細な変化ならいざ知らず、基本方針の変化となるとほとんど不可能です。自己否定になってしまいます。
・現在、東南アジアASEANの成長を日本に取り入れよう、とテレビで言っています。すでに、今から150年前の幕末に、東南アジアとの貿易を盛んにすべきだという意見を持った人がいたのは驚きです。大久保利通らが、岩倉具視とアメリカに渡って、西洋諸国の文明を見て開国論者となる前のことです。

・ただ、皮肉なことに、開国となり、ほかに横浜などの開港地が開かれれば、外国に対して唯一の窓口で会った長崎の地位は下落していきます。鎖国政策がとられていたからこそ、海外に唯一開かれていた長崎の地位が高かったのです。
・裁判所にしても、戦前は「長崎控訴院」がありましたが、福岡市に移転となりました。

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