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変革期には、忠実者は置いてきぼりになり、反抗者が舵を取るー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(6-33-98)

変革期には、忠実者は置いてきぼりになり、反抗者が舵を取るー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(6-33-98)

第6編  大政維新
第33巻 文明知識の開拓
第98章 東京・佐賀の文明開誘(明治3年ー1870年 57才)

  
  ・直正公は、正月、病を押して参内する。重要事項は、大納言・岩倉具視が、佐賀藩邸まで馬車で訪ねてきて協議していた。
・江戸は、去年、東京となったが、諸国藩士は散じ、市民は失業し悲惨の極みにおちいった。昨年の秋雨で米の収穫は減じ、米の蓄えある諸藩は出荷を見合わせた。そのため、米価は高騰し、東京都民の食料は欠乏した。朝廷には、軍事の戦略を説く者は多かったが、飢饉を救う人材は、はなはだ少なかった。
  そこで、直正公は、大木喬任を朝廷に推薦し、大木は東京都知事の任命を受けて飢饉を救済する任務に当たった。
 当時、天下の人々は未だ政府を信じておらず、逆に、転覆・改造を唱える者が地方と気脈を通じて陰謀の危機が潜伏していた。幕末の京都と同じであった。警察の設備も完全ではなく、警察力を用いるにも容易ならざるものがあった。
 そこで、大木は警察改革に手を付け、他方、経済政策に意を用いた。もっとも世に知られたものは米価調節である。
 この年、欧州では蚕が病気となり、養蚕業は低迷した。欧州の業者が来日して、生糸などを多数購入し、生糸の価格は高騰した。また、緑茶も米国の需要が高まった。そこで、養蚕と茶の生産に務め、多くの利益が上ったので、その交換品として、東京都は香港から外国米を輸入し、不足を補った。南京米として安く売られたため、米価は高騰しなかった。
   江戸が瓦解した後、藩邸は草ぼうぼうと生い茂っていた。失業していた武士が多かったため、空き地を開発して、桑と茶を植えるように奨励し、安く土地を払い下げた。  しかし、都会育ちの武士には、田を鋤で耕すのに慣れず、より労力の少ない仕事に向かったので、その効果は少なかった。静岡の茶産業が盛んになったのはこれがきっかけである。
 都下、いたるところに群れをなしていた乞食に対しては、藩邸45か所に救育所を設置して収容し、本籍地に送り返すか、就労能力あるものには桑や茶の労働に当たらせた。ところが、赤痢が流行して救育所には死体が充満し、おびただしい死体を火葬した。
 大木曰く、「ただ、貧民を邸の中に入れて食を与えただけである。「貧乏人の子だくさん」ということわざにもれず、夫婦で7・8人の子供を引き連れた者が続々集まり、その悪臭・汚濁は耐えがたかった。もし、救育所を設けなかったならば、死体は道路の至る処によこたわっていたろう。」
 このとき、深川の商人・肥前屋七右衛門は、乞食を利用して下総で開墾を企てたが、乞食の多くは怠惰で成功には至らず、数年後廃業した。
 ・この年の年始には、朝廷破壊の声も多くあり、佐賀藩隣の久留米、柳川、小倉藩はそのため動揺した。
 この度の明治維新も、少数の有力者が朝廷の名を借りて権勢をもてあそび、勤王の美名の下に私欲をなすもので、現政府は遠からず崩壊すべしと考える者も多かった。勤王の志士を出した雄藩ほど、不平の声は大なるものがあった。
 去年の正月には、肥後の横井小楠が暗殺され、9月には長州の大村益次郎が暗殺された。
 佐賀藩は、二重鎖国で、中央政府に対する諸藩との競争に疎く、長崎を管轄していたため、外国の情勢のみに通じていた。また、「葉隠」の精神を教え込まれ、藩主に奉公するのみで、自己の主義を立てて奔走する者も生じなかった。一人の脱藩者も出さなかった。そのため、明治維新となって脱藩者が高官に就くに及んで、「藩に背き、功利競う輩」と軽蔑したものの、朝廷の態度は、藩に忠実なものに対してますます不利益となってきた。そこに怨嗟の声があがり、功利の輩が集まる政府は長続きするはずがない、遠からず破壊すべしと言う論者を出した。
 ただ、伝統的に佐賀藩の気風は諸藩と行動を共にするに疎く、ただ薩長の内情を窺うのみで活気がなかった。これが後の佐賀の乱を生じさせるに至った。
  佐賀藩でも、戊辰戦争では、後れを取ったが、きたる朝廷破壊の際は必ず優先権を取るべしという者もあった。
 長州では、帰ってきていた木戸孝允が、解体された奇兵隊所属の武士から囲まれたがなんとか逃げて、暴徒を撃退した。その残兵は久留米に逃げ再挙をはかった。
 薩摩藩の藩主島津も、西郷と折りが会わず廃藩置県に反対していた。
  (コメント:変革期には、忠実な人間は取り残され、反抗者が次の主導権を執ることが分かります。変革期には「葉隠」は無力です。)
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