幕末混乱、幕府凋落の原因、薩長の台頭の要因ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-23-70- )
第5編 公の国事周旋
第23巻 公の退隠(隠退)
第70章 直正公の隠居と息子への家督相続(文久元年 1861年 48才)
幕末混乱、幕府凋落の原因、薩長の台頭の要因
・公武合体。朝廷は、和宮(皇室)の将軍への降嫁(政婚)を認めたが、それには今後10年内に攘夷を実行するという条件をつけた。
(久米は言う) 公武合体は、朝廷が幕府に世界の情勢からして不可能な攘夷を求め、大きな問題を起こす原因を含んでいた。
・当時、幕府の老中や若年寄や各藩の執政にも、相当の人材はいた。しかし、外国から来る変化が急激なため、変化が変化を生む状況で、政策の選択に迷い、適切な選択をすることができなかった。
そして、幕府官僚も、悪魔のように改革を恐れ、処女に恋慕するかのように権威を求め、その結果、安政の大獄、そして桜田門の変となった。その結果、水戸藩は分裂し、東国(東日本)に名望の藩はなく、西国(西日本)の薩長の運動が出てきた。