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裁判所で過去の習慣や風習を証明することは難しい(備忘メモ)

1,経済小説家 橘 玲氏が、週刊プレイボーイに連載していたエッセイ
不倫騒動を見れば、少子高齢化の理由がよくわかる 」
がインターネットに公表されていました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20171002-00075800/

 

 その概要の一部は、
 田中角栄には愛人がいたが、当時1970年代、愛人の存在は周知の事実で、そのことが問題とされることはまったくなかった。 その当時は、いまよりはるかに不倫にきびしかった。その論拠として、(橘氏は)、「当時のテレビドラマには、不倫が発覚して夫の両親が嫁の家族に土下座して謝る、というような場面が出てきました。」をあげ、その後、不倫は急速に大衆化したと言います。
2,ここで若干違和感を覚えるのは、 1970年代には、著者が言うように、当時の世間は、不倫にきびしかったのかということです。著者は、その証拠として当時のテレビドラマの場面を挙げています。これだけで、読者を納得させるのに十分と考えているのでしょうか。どんな映画か、場面はいつの時代のものか、その場面が通常なのか、特異なのか、どの地方のものか、日本全体と一般化できるのか等は判りません。
 著者は、 1959年生まれで、 1970年代は小・中学生頃です。著者がその当時のテレビドラマを覚えているのも感心します。
 むしろ、私の記憶では、当時も不倫はありふれていた記憶です。むしろ「二号」「妾」を持った経済力ある男は「甲斐性もち」とい言われていたことからも、分かります。
 もっとも、橘氏のは、単なる男性雑誌のエッセイですから、それに目くじら立てて論拠が不十分と言われるのは、迷惑なことでしょう。

 3,相続事件で、寄与分とかが問題となる事件では、4・50年前の経済環境や経営環境、商慣習、風習などがどうであったか、その中で寄与分を主張する子供がどのように財産形成に寄与したかということを、裁判所で証明することになることもありますが、なかなか困難です。
 
 当時の慣習や風習などは、当時は当たり前すぎて、記録が残っていることがほとんどありません。記事になるのは特異なニュース性があるものです。このように証拠となるものはあまりありません。
 橘氏のエッセイでは、どんなテレビドラマかわかりませんが、それを自説の根拠としています。裁判では通用しないでしょう。
 4、 もう一つ難しいのは、裁判官、特に若い裁判官の場合、判断の物差しとなる常識が、その裁判官が育ってきた世相に影響され、その裁判官の頭の中で作られています。 このように形成された常識や新聞・TVなどマスメディアから影響を受けた現代から見た目線で、当事者の言い分が判断されることです。
 現在の目線から、 4・50年前の当事者の行動を判断する場合、その当時の慣習や風習を理解し前提とした上で、評価判断する必要があります。その当時の慣習や風習がわからない裁判官は、無意識的に現在の慣習や風習を前提に、4・50年前の当事者が行った行動を判断します。
 これでは適正な判断はできません。何よりも、ドラッカーではありませんが、「事実に対する謙虚さ」が必要で、それを意識し自覚している裁判官とそうでない裁判官では、結論は全く違ってきます。
 裁判官にも、いろんな人がいます。事実に対して謙虚な裁判官に当たればよいですが、そうでない場合は、泣くしかありません。当事者には、裁判官を選ぶことは出来ません。

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