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攘夷決行を宣告するも、何の音沙汰なしー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-25-75)

攘夷決行を宣告するも、何の音沙汰なしー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-25-75)

攘夷決行を宣告するも、何の音沙汰なしー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-25-75)

第5編  公の国事周旋
第25巻 外国艦船の集合、攘夷の宣告・決行
第75章 攘夷決行(文久3年 1863年 50才)

      攘夷決行を宣告するも、何の音沙汰なし

・2月13日、家茂将軍は、江戸から京都へ上洛する。
・当時の江戸は、参勤交代中止で衰微し、往来も少なく、通路は真っ暗であった。

・昨年12月13日、長州藩士が、英国公使館を焼き討ちする。
・所司代牧野は、諸藩に軍備の用意をさせる。
・攘夷論の首領(天狗)は、久留米水天宮の神官真木和泉守であり、長州の久坂、土佐の武市らは、攘夷の期限を定めよと主張した。(久米は言う。これは宣戦布告の日を定めよと言うに同じであると)

・家茂将軍は、5月10日をもって外交を拒絶すべしと決す。(久米は言う。これは宣戦布告の日を予告するもので、昔の笑い話と言うべきである。)
(直正公は、これは盲人の決断とならざるべきを知りたり、と言う。)

・江戸から出ていく者は引きを切らず、板橋、内藤、新宿は混雑を極めた。
・一橋卿は、攘夷を決行するため江戸に帰ろうとし、また、水戸候がイギリスに賠償金を払おうとしたのに対して、警告した。
・しかし、小笠原図書頭の決断で、5月9日、10万ポンド支払ってしまった。一橋卿が江戸に到着しても遅かった。
・翌日には、「御談判、相済み、これまでの心配を取り除き、開港の繁栄、商売にますます励むよう。」とのお触れが回った。
結局、 攘夷期限の5月10日は、何の音沙汰もなく過ぎ去った。

(コメント:時代の流れに沿わない決定につき、一橋卿は、盲従しようとし、小笠原図書頭は、独断で決定を反故にして、日本を救ったことになります。ここから、一橋卿の人間性がわかります。)

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