攘夷論は気概があると言われ、開国論は外国迎合者だといわれて排斥さるー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-42-3)
第3編 政績発展
第14巻 長崎砲台増築否決
第42章 幕府へ長崎砲台増築を建議す(1849年 嘉永2年、直正公36歳)
攘夷論は気概があり、開国論は外国迎合者だと排斥さる
・長崎砲台増築否決について、宇和島の伊達宗城が周旋の労をとる。
・否決の理由は、幕府財政が欠乏し、20万両という経費が莫大と言うことにあった。
・佐賀藩で、福岡藩との交渉を担当した田中、高木の二人は、隠居・浪人の厳罰の処置となった。
・イギリス軍艦が、下田に寄港す。退去を命じても、勝手に海底を測量す。幕府は、彦根、会津、川越、忍の譜代4藩に警備を命じたが、これを打ち払う威力なく、手をこまねいて、成り行きに任すのみであった。
江戸の世論は、打払令を緩めたために、彼らの侮りを招いたのであると、攘夷論を口にして怒った。このように鎖国を主張するを気概ある士とみなし、逆に外国の事情に通じる者を目して、かってに外国の意に迎合する者と排斥するに至った。
・アメリカ軍艦が、長崎に来港し、アメリカの漂流民を受け取る。