鍋島直正公伝 日本最初の造船家望月大象・肥田濱五郎は、ロシアの造船を研究したー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55-4) yama-da 2016年3月25日 日本最初の造船家望月大象・肥田濱五郎は、ロシアの造船を研究したー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55-4) 第4編 開国の初期 第18巻 開国の初歩 第55章 オランダ人伝習の起こり(安政元年 1854年 41才) 日本最初の造船家望月大象・肥田濱五郎は、ロシアの造船を研究した ロシア・プチャーチンは、英仏連合艦隊の攻撃を避けながら、9月18日、軍艦ジャナ号で、大阪港に寄港した。大阪・京都は大騒動となった。プチャーチンは、結局、下田に寄港した。しかし、11月4日、津波がおこって、軍艦は船底に大破損を受けた。英仏軍艦の攻撃をおそれたプチャーチンは、別の良港を探したいといって、戸田港あたりを物色した。幕府の許可を受けたプチャーチンは、戸田に向かったが、強風にあおられ、12月2日、駿河湾に沈没した。そこで、乗組員は、戸田村に集まり、スクーネル型船の造船を始めた。 多年造船を研究していた江川英龍は、これを絶好のチャンスと捉え、すぐに部下を遣わせて造船の状況を研究させ、日本で初めて西洋造船術を会得した。ロシア人は、約100余日で造船を竣工し、翌3月カムチャッカに向けて出港した。 江川は、幕府に勧めて、伊豆で、西洋船の模造を始めてたが、不幸なことに、その途中でなくなった。 このとき、江川に縁故のあった望月大象・肥田濱五郎は、後日、長崎で海軍伝習を受けて、日本最初の造船家となった。 また、その時、雇われていた船大工鍛冶は、西洋流の船材構造の概略を理解し、竜骨の据え付け、組み立てを会得して、幕府の命を受けて西洋船を製造した。 記事の目次は、本ホームページの上の方の「鍋島直正公伝を読む」ボタンをクリック。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます) Related posts: 西洋式を日本風に工夫・採用・普及させた江川英龍の功績は甚大ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55-3) 西洋式を日本風に工夫・採用・普及させた江川英龍の功績は甚大ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55-3) 第4編 開国の初期 第18巻 開国の初歩 第55章 オランダ人伝習の… ... 直正公の姿勢は、藩士民に親しいものであったー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-6-16-2) 直正公の姿勢は、藩士民に親しいものであったー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-6-16-2) 第2編 公の初政治 第6巻 公入部(家督相続)の新政治 第17章 藩政拡張の初歩 ・直正公の姿勢は、藩士民に親… ... 起業・経営には、概数で判断し、果断の実行力が必要だー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-42-2) 起業・経営には、概数で判断し、果断の実行力が必要だー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-42-2) 第3編 政績発展 第14巻 長崎砲台増築否決 第42章 幕府へ長崎砲台増築を建議す(1848年 嘉永元年、直正公… ... ← 西洋式を日本風に工夫・採用・普及させた江川英龍の功績は甚大ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-18-55-3) 寺の鐘を大砲・小銃に改鋳するとの太政官符が下されるー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-56) →