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明治新政府の窮乏ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(6-31-91)

第6編  大政維新
第31巻 東北征定
第91章 新明治政府の財政(慶応4年ー明治元年 1868年 54才)

・江戸開城後の混乱

(結局、幕府は、薩摩と共に、長州の嘆願を拒んだものの、長州を征服させるには至らず、長州征伐は失敗した。すると、これまでの攘夷論は、倒幕論となり、結局、徳川将軍の政権返上となった。)

しかし、政権返上と言っても、朝廷は、将軍慶喜を排斥し事務引き継ぎも行わなかった。そのため、内政・外交とも、問題が噴出して、新政府当局者は、困難な状況に陥った。
ここにおいて、西郷隆盛は「今日のこと、口先者がよく争うところではない。ただ、これあるのみ。」といって、短刀を首にあてがって勢いを制し、長州の木戸も「太平は血をもって買うべし。」と主張した。

 
(久米は言う)これは、従来の過激な攘夷論が、行き掛かり上、どうにもできなくなったと言うことができる。いわば、騎虎の勢いである(これまでの行き掛かりの勢いがあり、途中で降りられなくなる)。

 
江戸開城後、幕府・譜代の武士は、すべて家禄(給与)を失うこととなり、幕府におとなしく従った者は、「西郷にだまされた。」と騒ぎ、駐屯した官軍は闊歩横行し、悪党はこれに乗じて凶行をなし、白昼往来も危険で、商売は止み、武士とても恐れを抱き暗い道をたどる思いで、至る処、悲惨な光景を呈して、言語に絶するものがあった。

・新明治政府の財政

新政府は、徳川幕府から領地返上を受ければ、新政府の国家財政に充てるべく、これを頼んでいたところ、慶喜から、公共事業は、各藩に割り当てる制度であったと聞いて、もくろみががらりとはずれた。勝海舟も「徳川の領地をもって財政に当てようとも360万俵くらいで、官吏の給料にも足りない。」と言い、たちまち、財政困難に陥った。
結局、由利公正の案で、13年通用の紙幣を発行するに至った。これが太政官札である。

 
新政府は、東北征討軍の出兵を諸藩に課し、その費用は各藩の自分持ちとして、軍資金を考えていなかった。しかし、莫大な費用となるに至って、官軍は幕府軍に対し寛容なる処分を取らざるを得なくなった。戦闘継続の資金がなくなったためである。
このころ、幕府の老中、若年寄などの給与を参考にして、新政府の一等官には千両、二等官には800両の月給を決めた。しかし、その年は閏月であったが、月給を支給できず遅延した。

 
直正公は、議定で2等官であったが、「・・800給金、一文紅」と漢詩を読んだ。これは、「一文も くれいないなり」と読む。このように新政府の財政は窮迫していた。

(コメント:幕末・明治維新のテレビドラマとは違って、現実は相当悲惨だったことが分かります。現代から明治維新をドラマ化すると、美化され良い面ばかりが強調されるようです。あまり、悲惨なドラマだと、誰も視聴しないからでしょう。)
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