桜田門の変後、鍋島直正は後任を託されたのを断るー人生の分かれ目ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-22-67-2 )
第4編 開国の初期
・安政の大獄の後、不満をもつ水戸藩士と薩摩藩士が、雪空の3月1日、午前9時ころ、桜田門外にて、井伊直弼を斬殺した。2名はその後自殺、ほかの3人は自首した。
・結局、その後、外様から島津久光が起ち、長州が公武合体の周旋を始め、互いが政争を争った。
(久米は言う)
(幕府の状況)幼い家茂将軍のもとで、老中・若年寄といっても、譜代大名の弱小藩主で、自ら手腕があるわけでもなく、多くは家老によって左右され、その家老も部下の小役人に左右され、その小役人とて、どれも時代を理解しない迂遠の人間で、国家の大勢、京都の情勢はもちろん、世界の大勢を知ることはなかった。
かかる情勢で、井伊大老が斬殺され、直正公は大いに期待されたが、佐賀藩の後継者が幼く統治できるか不安で、自藩の佐賀藩を統治できなくて、国家の大事を担うことはできない、との考えで、やや保守的になられた。
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