江戸幕府の刑事訴訟手続き2(不敬罪)ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-9-26-3)
第2編 公の初政治
第9巻 関札暴行事件
第26章 一橋家人関札侮辱の獄
・江戸幕府の刑事訴訟手続き2(「江戸幕府の刑事訴訟手続き1」からの続き)
1,4月4日、佐賀藩の小山、羽室の両人は、勘定奉行の内藤宅に呼び出され、金井と豊田の二人が、調所で質問した。まず、両人の役目、年齢、禄高(給料)などを聞き、川崎での狼藉の概要を説明した上、「肥前藩の家来の誰一人もその場にいあわせなかったのか。」と質問した。
小山ら両人は、不幸にして、一人も居合わせなかったと言った。
金井らは、「家来が居合わせたならば、どうでも処理できたであろうに、居合わせなかったとはどうにも仕方がない。鍋島藩は大藩であるから、前日から担当役人が出張して当然なのに、そうしなかったのはどうゆう訳か。」と質問した。
小山等は、「おたずねの件、ごもっともの次第ながら、当藩は年来の財政難で、加えて昨年には居城が焼失し、一事は参勤交代をも猶予をお願いした程で、通常の倹約に加えて、破格の経費削減で、お供の家来の数も削減し、お供の者も10人中8人は兼務で当番・非番の区別もないほど少人数なので、前もって遣わす役人の余裕もなかった次第である。」と陳述した。