治茂公の入部ー幕末、佐賀藩士の窮乏と堕落ー再建の殿様・鍋島直正公伝を読む(1-2-5-1)
第2巻 長崎防衛の変化
佐賀藩では、九州に入ると、行列の人数を増やし、他方、服装は、絹羽織りから木綿の服に改めさせていた。
江戸の大質素は、田舎では贅沢の部類に入る。
・藩興隆の議—–
「葉隠」に、「勘定者は「すくたれもの」なり、・・損得の勘定をするので、常に損得の勘定の心が絶えない。死は損、生は得なれば、死することも好かぬ故に、「すくたれもの」なり。学問をするものは、才知弁口にて、本体の臆病の心を隠すものなり。人の見誤る所なり。」とある。
古賀穀堂はいう、「金銀を貸し付け、利息を貪るは、武士道の廃(すた)れたるもので、武士といえども、実は町人である。町人も、逆に武士に金を借りることもある、と聞いている。----
(コメント:久米のこの記述は、格差が問題となっている現代のことかと思いました。
- 親権者指定で「 行動科学の知見を活用した事実の調査」は、優れた方法か?
- 治茂公の弘道館に臨んで教育を奨励すー当時の弘道館の衰退ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-2-5-2)