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治茂公の入部ー幕末、佐賀藩士の窮乏と堕落ー再建の殿様・鍋島直正公伝を読む(1-2-5-1)

治茂公の入部ー幕末、佐賀藩士の窮乏と堕落ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-2-5-1)

第1編 公の出生以前と幼時

第2巻 長崎防衛の変化
第5章 治茂(直正の父)公の入部

・初入部の行列・衣装、長崎巡視ー当時の佐賀藩士の窮乏と堕落

入部とは:鎌倉時代から慣用された言葉である。大名が一国の守護職となって、守護職となる国に初めて赴く際、大勢の手下を引率して、管内に威勢を示すことをさす。

台弓:10挺

緋袋入り鉄砲:10挺

大鳥毛鞘入り槍:10本

をたてる大名行列だ。

 佐賀藩では、九州に入ると、行列の人数を増やし、他方、服装は、絹羽織りから木綿の服に改めさせていた。
というのは、佐賀藩は質素を主とし、普通は木綿の服にて押し通してきた。しかし、他人が絹の服を新調するのに、 1人古着を用いて恥じる人情から、絹服を新調して郷里の人に誇らしげにするために過分のものを調達した人もいたそうである。

江戸の大質素は、田舎では贅沢の部類に入る。
例えば、九州では、武士の妻は、白木綿を手で織って、これを紋服に染めて、夫の登城の晴れ着にあてていた。それから何回も洗って普段着にして、さらに洗いに洗って最後には耕作着にしていた。これを「洗剥の紋付き」と呼んでいた。最近まで、肥後・薩摩の田舎を歩くと、武士が「洗剥の紋付き」に1刀を差して耕す姿はいつも目撃したところだ。
ただし、佐賀でそれらを見るのが少ないのは、江戸の奢侈に感染したからである。

・藩興隆の議—–
藩の財政を増やすには、「御馳走米」を増やすのと経費を削減するとの他に方策はない。
「御馳走米」とは、所得税に似たもので、所得(知行米)に一定の利率をかけて、藩に対して、納付させるものだ。——–
しかし、知行米は、「御加入講」の抵当に沈み、ほとんど無禄同様だった。
「御加入講」とは、頼母子講の1種で、知行米を担保として、証文を入れ、頼母子講に加入して、講金を借りるものだ。その利息の収入は、「六府方」の収益となっていた。
家来の中には、困窮の極まりのまま、家が滅亡するものも多数にあった。悲惨だった。知行米を負債の抵当に入れて沈むという事は、すなわち、将来の収入を消耗するもので、債権者の懐に収まることになる。

古賀穀堂によれば、 15組中、平均305戸の武士には飢饉がさし迫っていたわけで、困難な状況にあった。「 入るを図って出るを制す」というのは、生存競争には弱いものがある。特に、米を唯一の収入源とする武士は、そもそも他人の侵害を防衛するために、豪族の手で養成されたもので、社会の生存競争には、一向無頓着である。その意識は、ただ他人の侵害を防ぐ戦争にあるだけ、と思われる。加えて、太平の時代になると、その武士の警備機能は全く衰えてしまった。

「葉隠」に、「勘定者は「すくたれもの」なり、・・損得の勘定をするので、常に損得の勘定の心が絶えない。死は損、生は得なれば、死することも好かぬ故に、「すくたれもの」なり。学問をするものは、才知弁口にて、本体の臆病の心を隠すものなり。人の見誤る所なり。」とある。
このような教訓が強い印象を与えたために、佐賀侍の理財知識は最も鈍かった。「葉隠」が著された後、 1世紀にして飢饉に迫る大きな困窮に沈んだのは、もとより当然のことである

よって、勘定を担当する「雑務役」には常に不正が行われてきた。その例は吉原太郎兵衛である。卑しい身分から身を起こして財を作ったが、不正が発覚した。こういう事は枚挙に暇がない。勘定者を嫌う武士社会になって、会計の困難が容易に収拾しにくい事情にあるのは、容易に想像できるところである。

古賀穀堂はいう、「金銀を貸し付け、利息を貪るは、武士道の廃(すた)れたるもので、武士といえども、実は町人である。町人も、逆に武士に金を借りることもある、と聞いている。----
出家などは清浄無欲を主とすべきに、金銀のことに公事(訴訟)をいたし、貪欲邪知の振る舞い多し。これ、畢竟、奢り高く、金の収入が過分にある故、普段から町人・金主と心やすくなり、その栄華のまねをする所なり。
かような者は、武士の風俗を毀損するものであり、職務に過誤がなくても堕落甚だしい者を2・3人処罰すれば、風俗も自然と改まるだろう。

・・ほかの町人から金を調達して、よんどころなく手を下げて機嫌を取り、自然と武士の心薄くなるは是非なきこと。しかしながら、借金しなければ早速差し支える、という現実も吟味する必要がある。いずれにせよ、武士の意地を取り失わないようにありたいものだ。」

これを見ても、勘定にうとく、学問が嫌いな武士は、当時、いかに堕落の極みにあったのかを推測せられたい。

(コメント:久米のこの記述は、格差が問題となっている現代のことかと思いました。
「葉隠」は、かの岩波文庫に収められています。知識人の出版社「岩波書店」ですから、葉隠武士も知識階級の武士と、勝手に思い込んでいましたが、そうでないことがよーくわかりました。
これまで、ブログ主の江戸時代・明治維新の知識・イメージは、ほとんどが映画・テレビからのいい加減なもので形成されていることがわかります。 この久米の本で、事実が相当違っていたことがわかりました。
同時に、日本人の性というか、嫉妬や世間体を気にしたりと変わらぬ部分や、当時の知識階級の知恵というのも、現代の優秀な人以上に優秀であることもわかります。)