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無私のコンサルタント(松本藩士 佐久間修理=象山)・佐賀藩の教育法ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-15-44)

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無私のコンサルタント(松本藩士 佐久間修理=象山)・佐賀藩の教育法ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-15-44)

第3編 政績発展
第15巻 砲台増築
第44章 砲台増築を自力にて断行す(1850年 嘉永3年、直正公37歳)

  ・正月2日、直正公は、家来の本島藤大夫を伊豆の韮山に遣わし、江川太郎左衛門英龍に、長崎砲台増築の計画を諮問させた。江川は、喜んで饗応した。

・2月、公は、老中阿部に面会し、長崎の佐賀領地内の伊王島・神ノ島等に、国防のため砲台増築を請願し、阿部は、熟慮の上、直ちに着手するように答えた。同時に拝借金も申し出て、承知の返事を貰った。これには、伊達宗城、越前慶永などの後援もあった。

・3月にも、同様、江川に質問した。
80ポンド、60ポンド、30ポンド、24ポンド大砲の配置
そのほか130挺の鉄砲、弾薬庫、砲手、敵から弾薬庫を防御する方法
発射方法、火薬耐久法、銃による遊撃法など。
江川は、これに懇切・詳細に答えた。

・砲台築城の原本は、幕府所有のオランダ築城書中にあった。直正公は、表から幕府に問い合わせても、先例もないことだし急には事は運ばないだろうと思案し、伊東玄朴に相談した。伊東は、蘭学に長じた長州藩士田中に嘱託し、これを受けた田中は、首尾良く、砲台築造の基礎部分を翻訳し、差し出してくれた。

・本島は、韮山の江川の下から帰る途中、信州松本の藩士で砲術を教えていた佐久間修理(象山)を訪ね、砲台新築の件を質問した。佐久間は、江川に砲術を学んでいたが、意見が合わなかった。しかし、江川は、本島に、佐久間を訪ねるように勧めてくれた。

 ・佐久間は、「国家のために恐悦至極」と感服し、「余は、小藩の士にて、主人も尋常(普通)なれば、なすところもない。あなたは、大藩に仕え、このような英邁非常の主人に仕えられることとて、将来日本の国家のために、大いに力を尽くすことができるのは、喜びに絶えず、うらやましいことです。私の知識の及ぶ限りは残らずお話ししましょう。」と答えてくれた。
ここで、野戦砲の教示をうけた。砲の配置、速射砲の位置、距離、不意の襲来、雨中発射、風雨の影響、接近した場合の備え、夜中の発射、弾薬の用意、連発の用意などであった。

佐久間の肖像は、ココ

・当時の弘学館の教育法
国学を表とし、漢学を裏としたが、蘭学の新設も加わり、自由に学問ができた。才ある者も輩出して、各自の意見を自由に述べて、先輩の教員を軽蔑する者も出てきた。責任者鍋島安房は、才能ある生徒を愛し、努めて、各自の自由に意見を言わせ、学校の規則を破らない範囲で、競い合わせた。後日、明治に活躍する人材はここから輩出された。

・直正公の武芸教育法
当時の武術家は、武士道が本領で、西洋の火術を卑しんでいたので、その対立を利用して、武芸を競わせ奨励させた。

・義祭同盟なる。大木民平、江藤新平加わる。

(コメント:松本藩士 佐久間修理には、感激です。このような人物は、現在も日本のどこかにおられると思いますが、そんなに多くはないでしょう。

・直正公が幕府役人の対応を予測し、それを迂回して、伊東玄朴に頼み、目的の幕府所有原本の翻訳文を入手する方法は、老練というか、心にくいばかりです。)

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