直正公の胃腸病の原因と魚・鳥の上手な調理法ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78)
第5編 公の国事周旋
第26巻 公武合体
第78章 将軍上洛、公武合体(元治元年 1864年 51才)
・直正公は、昨年末から胃腸病を病んで、 1時は危篤の状況にあった。しかし侍医大石良英の治療によって、なんとか元気になった。
(久米は言う)病気の原因は、直正公が神経質であり、政治のストレスを強く感じ、その結果、胃腸が衰弱したものと思われる。
直正公は、食事をする際、家来が見守る中、 1人で座って食事をしていた。同席して食事をする者もなかった。神経質の常として、甚だ早飯食いであった。侍医大石は「食事の際は、胃腸の神経を和らげるために、食べ物をよく噛んで、唾液を加えて飲み込むべきです。したがって、食間には話をするなどしてゆっくり召し上がるべきです。」と注意した。
そこで、直正公は、給仕の者と話をしたが 、箸を握っている間はやはり早飯食いになり、おかわりをする間だけ、給仕と話をするだけなので、大石は、食べ物を噛みつつ話をするように注意したが、直正公は、大石の言う食べ方は難しいと言いながらも、よく噛むように努めた。
・魚や鳥などの調理は、骨はことごとく取り去って家来の試食用にあて、肉のみを取り出して直正公の食用に当てていた。
これについて、大石は、「魚鳥は、肉だけ煮ては栄養に乏しいのです。すべて生き物の栄養がある部分は、骨皮の間にある脂肪分で、栄養分もまたここに多く含まれています。肉のみを調理するのは、旨みも乏しく、栄養分も奪い去るものです。したがって、これからは骨皮全部を煮て、その中より最も美味しい部分を選んで食用にされるのが一番です。」と勧告した。その後、鯛なども「お頭」を好まれるようになった。
・こういう健康状態であったので、直正公は、本年 4月18日「宰相」に昇任されたが、健康を理由に辞退した。しかし、幕府はこれを却下した。 将軍からは、直正公からの大砲、蒸気機関、製鉄機械を献納したことに対して恩賞があった