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直正公の若き頃(18~20)の神経衰弱と学習法ー鍋島直正公伝を読む(2-7-19・21)

直正公の若き頃(18~20)の神経衰弱と学習法ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(2-7-19・21)

第2編 公の初政治

第7巻 藩政拡張の困難

第17-21章 藩政拡張の計画と発病初歩

  ・直正公の若き頃(18~20)の神経衰弱と学習法

1,直正公19歳の時。神経衰弱となる。

原因は、巨大な財政赤字なのに、正妻盛姫から参勤交代に金のかかる華美の行列を期待され、隠居した父親からは8年も江戸に行っておらず、今年は是非行きたいとせがまれ、これが無理だと断ると激怒され、そこで代わりに、父親のため相撲興行を催してやったり、家来に節約の達しを出すものの、全く改善は見られず、改革の評議を開くも議論はなく、面従腹背する者ばかり多く、家来の多くは、直正公の意見は儒者古賀穀堂が背後でそそのかしているものとの思いもあり、従来の重職も、父親の取り巻き連中が多く、旧習になれたる取り巻きは、父親を介して改革を妨害し、加えて、天候不順で、台風の災害もあり、米の収穫が減じたことなどによるものである。

2、19歳の直正公の神経衰弱に対して、取り巻きは、通い女中(妾)をしきりに勧めた。(久米は言う)凡人の姑息な手段で、残り物に預かろうとする者の迎合し易きやり方だと。
21歳の正月には、一日約28回も下痢し、5日にやや軽くなり、月末ようやく回復した。

3,物きわまれば通ず:翌年は豊作で、他方、東北は大飢饉となり、米価暴騰し、藩の収入も増大し、予算も余裕ができた。

4,直正公の学習法(直正公が老いたときの言葉)

「予は、儒者古賀穀堂について、質問をし、討論して得たことを、自ら工夫研究して会得し、あとでこれを実行したり。
然るに、今は、学識ある先生が多いのに、専門の先生の講義を聞き、自己の知徳を発展させることをせず、他人が推薦するのを待つばかりだ。 『講釈を聞くのは何の益もないぞ』。予は、幼時より、しきりに講釈を聞かされたけれど、その時は詩などを考えて、よくは耳に留めなかった。自己の知徳を長ぜしめんには、講釈を聞くよりは、問答・談話こそ肝要だ。いろんな議論を聞いて、要所には質問を加え、それに日頃の読書と実際に触れた疑問点をあわせ、工夫・研究を加えるにあらざれば、知識は増進するものにはあらず。

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