直正公の隠居 | 日本における蒸気機関の製造は三重津から始まるー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-23-68- )
第5編 公の国事周旋
第23巻 公の退隠(隠退)
第69章 直正公の隠居(文久元年 1861年 48才)
直正公の隠居|日本における蒸気機関の製造は三重津から始まる
・ 直正公の子供が元服し、自らは隠居する。(久米は言う:蒸気船で海外雄飛の志があったのではないか?)。家来は猛反対する。幕府での席順も、直正公は中将だったので上席であったが、世継ぎは侍従であったので、席順は格段の末席となった。
・三重津に蒸気船の修理ドックを設置し、さらに精錬方の田中久重(からくり儀右衛門)親子の「数個の機械を設備すれば、蒸気機関のようなものは必ず製造できる」との説明を聞き、陸上でも蒸気機関の利用が求められると察し、蒸気機関の製造を命じた。日本における蒸気機関の製造は、ここ三重津から始まった。翌1862年には 、幕府から、船舶用の蒸気機関3個の注文を受けた。
・ 当時、大隈重信や江藤新平も、外商と直談判をなし、失敗もしたが、活発に活動していた。
・ 直正公は、「海図図志」によって、世界各国の情勢を知っていた。