不祥事の悪しき対応例: フェートン号事件事件の場合-2ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-2-6-2)
第1編 公の出生以前と幼時
第2巻 長崎防衛の変化
第6章 英艦長崎突入(フェートン号事件-2)ー不祥事の事後対応
・佐賀の出兵騒ぎ
佐賀においては、異船渡来を1808年8月16日に聞き、「すわや、ロシア船の襲来ぞ」と家老以下、佐賀城に参集した。しかし、会議は大沸騰を見るも、決するところはなかった。ついに夜を徹し、 17日至った。そこで、請役所・相談役、御番方付役等を長崎に急行させ、警固2組にも出陣の用意をなさせた。
長崎では、諫早と豊前が急報に接して、当日長崎に到着した。大村は到着しなかった。諸藩の兵に至っては、もとより影さえもなかった。
これでは、長崎奉行は、打ち払いの決心をなすことができず、躊躇していた。
一方では、イギリス軍艦の強い請求があり、他方ではオランダ人の哀願があって、号令変幻、ついに薪水・牛、野菜をイギリス軍艦に供与した。オランダ人は、さらに牛2頭、豚数頭を送ったので、イギリス兵は、これで満足し、 16日の夜、錨を上げて長崎を去った。