第5編 直正公の国事周旋
第28巻 長州再征伐 家茂将軍 死す
第84章 一橋慶喜が将軍となる(慶応2年 1866年 53才)
・直正公は、どうして外国事情に精通していたのか?
1,公は、以前から西洋知識を得ようと、人材を育ててきた。 幕府が海外に使節を派遣する際には、佐賀藩からも、家来を数名参加させた。しかし、派遣された者は、自分の知識や見聞を広めただけで、これを公表・出版して、ひろく世間に知らせることはほとんどなかった。 したがって、鉄砲、戦艦や理化学など、欧米の物質的文明は向上したが、政治、経済、法律、教育などはほとんど暗かった。
その頃、英語通訳であった石丸虎五郎、馬渡八郎2人が、失踪した。調査したところ、イギリス商人グラバーの船に乗って英国に渡航したとの形跡があった。当時、佐賀藩は鎖国について最も厳しい規則を定めていた。許可なく外国に渡航する者は重罪に処せられた。 これを聞いた公は、他の藩でも同様の事例があり、処分しないでおけ、と見ないふりをした。後で分かったことであるが、公が、 隠密にこの2人を英国に渡航させたことが判明した。
公は、詳細な研究を必要とするものに関しては、良書を探させ、翻訳させ、最新の知識を得る努力を惜しまなかった。必要な本は、これを保管していたところ、その数が次第に多くなり、埃にまみれ虫干しするのも大変だった。
特に、外国新聞については、翻訳させて、非常の注意を払っていた。必要があれば、研究し、通訳に質問をした上、さらに研究をしていた。 横文字は学んでいなかったが、西洋知識についての知識は、ほとんど神のようであった。
そのため、北アメリカ合衆国の南北戦争や、プロイセンがデンマークを破り、オーストリアを撃破してドイツ連邦の覇権を打ち立てたことも知っていた。そして、それが火縄銃でなく後装式鉄砲の進歩によるものということも知っていた。
公の聡明なる知識は、これらの読書や研究によって得られたものである。
公が特に研究した課題は、中国・漢が五胡十六国になって滅びるまでの歴史や、各国の地理・国勢便覧、ヨーロッパ、アジアの歴史を研究していた。幕府がフランスに頼り、薩長がイギリスに通じて、外国列強が日本の政治に干渉して、日本がインドや中国のように植民地化されることを憂慮していた。
実際、当時、薩長と英国公使パークスは、倒幕の陰謀をはかっていた。これに対して、幕府もフランスの応援を頼んで、権勢をばん回せんと企てた。小栗上野介らは、幕府の防衛のために横須賀に造船所を建設し、フランス式の歩兵などを訓練した。さらに700万ドルの軍艦を買い入れ、 これで長州を滅ぼし、 薩摩を破り、諸大名の領地を削り、もって幕府による全国再統一を密かに図った。しかし、長州と和解の交渉を務めた勝海舟が、その計画を排斥したため、彼らは窮地に陥った。 このように、幕府も薩長も、 互いに陰謀を画策していた。
2,本年に入り、公は、さらに衰弱し神経はますます過敏になり、折にふれて、「天下に人なし。我が跡継ぎは乱を治めることができる人材か? 庶子はみんな幼稚だ!」と漏らすのだった。
3,また、将軍の娘を正妻として迎え入れた後、大奥の事情を知ることになり、幕府官僚が大奥を通じて権勢をもてあそぶのを見通した。 将軍の公に対する信頼は厚く、そのため、公も公武合体の主義を貫徹しようと努めたのだった。
4,佐賀藩は、薩摩とともに、パリ万博に参加・出展。
1867年(慶応3年) 、パリで万国博覧会が開催された。幕府から、諸藩に参加を問い合わせてきた。当時、西洋知識がある者は極めて乏しかった。 公は、このニュースを聞くや、直ちに参加することに決定し、佐賀藩内の陶磁器、白蝋、和紙、麻などを収集して制作させた。他の藩は薩摩が参加しただけだった。この博覧会には、佐野を佐賀藩代表として参加させた。イギリスに渡航していた石丸虎五郎と真辺八郎を呼び寄せて通訳させた。
(コメント:外国事情を知る努力は、現代の外交官や商社マン顔負けです。それも150年も前のことです。 ただ、自分が優秀だと、自分の息子の凡才にはがっかりするのでしょう。逆に、息子にとってみれば、優秀な父親を持つとつらいです。
国費による留学生が、自分が見聞したり勉強したりしたことを自分だけのものとしないで、ひろく公表して、留学の機会がなかった日本人に広く伝える必要があると、直正公は考えていたのです。 実際、国民の税金で留学しているのだから、もっともです。留学体験を自らの出世や金儲けにだけ利用するのは、お門違いともいえます。そのためか、久米邦武は、岩倉具視と共に渡航した米欧視察を「米欧回覧実記」全5巻(岩波文庫)として出版しています。 佐賀藩が、幕府も参加していないパリ万国博覧会に参加したことは画期的です。 現在の佐賀県は、こういった海外での催しにどれくらい参加しているのでしょうか? )
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