質素倹約(もったいない)では産業(殖産興業)は起きないー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-43-2)
第3編 政績発展
第14巻 長崎砲台増築否決
第43章 砲台増築準備と牛痘接種(1849年 嘉永2年、直正公36歳)
・質素倹約(もったいない)では産業(殖産興業)は起きない
(久米は言う) 明治以前の全国の殖産興業と明治以後の殖産興業には、大きな違いがある。というのは、武家政治は、経済上は消極主義をとり、武士や民の質素倹約を旨とし、華奢・遊惰を禁じ、その励行に務めるものであった。
つまり、質素倹約を励行していれば、興すべき殖産の産業はない。質素倹約の励行は、自然と産物を減少させ商業を衰えさせる。
長崎貿易を見ても、世を追って衰退し、元々オランダ船は数隻入港していたが、近代にはただ1隻となるに至った。日本の産物とオランダの産物とを交換するにも、わずかの金額にしかならないほどに衰退した。
このように、質素倹約に努める政治の下では、貧富の差は甚だ少なく、武士と民との差は極めて接近した。そのため、怠惰や濫行のはなはだしきに至らなければ、困窮を訴える者もなく、ともに質素の生活を営み、安心して階級の中に据え付けられてしまい、向上心の欠如とともに、理想も低度の趣味にて満足した。
従って、いかに殖産興業に努めようとも産物に対する需要がなくては、これに励む者もなく、いきおい自然に発達の機運もやんで、物産は枯渇するものである。
こうして、明治維新となり、いろんなことを個人の自由に任せて、開国主義の下に、殖産興業を奨(すす)めた結果、富豪が起こるとともに華奢の風俗もはやり、国富の進むと同時に貧民も多くなった。従い、品性堕落の結果、詐欺も行われ、生活難より犯罪数が増加するのも、また必然で免れることができない弊害である。
それ故、今(注:大正時代)の理想をもって、旧時代の、しかも質素倹約が極度に達した時代を論ずるのは、的外れの甚だしいものと言わざるを得ない。