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長州再征伐についての幕府、朝廷と英仏米蘭の駆け引きー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-28-82)

長州再征伐についての幕府、朝廷と英仏米蘭の駆け引きー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-28-82)

長州再征伐についての幕府、朝廷と英仏米蘭の駆け引きー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-28-82)

第5編  公の国事周旋
第28巻 長州再征伐 家茂将軍 死す
第82章 長州再征伐についての幕府、朝廷と英仏米蘭の駆け引き(慶応元年 1865年 52才)

・幕府は、将軍自ら大阪城に遠征して長州を征伐することに決し、朝廷に申し立てた。しかし、朝廷の返事は、なお協議を遂げるようにとの返事であった。
越前、尾張、加賀、薩摩などの諸藩は反対であった。賛成したのは、会津、肥後、久留米藩であった(こういういきさつもあって、明治維新の際、長州藩ら官軍の会津藩に対する処置が過酷を極めたのでしょう。)

 長州は、長崎のイギリス商人から艦船・鉄砲等を購入して戦備を整え、薩摩を通じて、イギリスと結ぶ形跡があった。他方、幕府は、フランスの後援を恃んで、強行に威信を保とうとした。

9月13日、英仏米蘭4カ国公使は協議して、兵庫・大阪に入港し、条約の勅許、関税の定限と兵庫の開港を要求し、1週間内に回答しなければ、淀川をさかのぼって朝廷に要求すると申し入れた。この申し入れがされたのは、この機会に、大阪に入港して朝廷に迫れば、必ずや開港できると内通した者がいたためとのことである。

 老中阿部と松前は、これを認めんとしたところ、朝廷からこの2人を罷免するよう命じた。
幕府は、朝廷が老中の人事まで口出しするとはと悲憤し、朝廷に対して、家茂将軍は退隠し一橋慶喜に譲る旨申し入れた。
これに驚いた朝廷は、条約は修正を加えて勅許することとし、兵庫開港だけは反対するよう回答して、将軍の退隠を却下した。

・幕府閣僚は、この際、大いに長州を懲らしめるとともに、薩摩をもくじき、幕府の権威を回復するにあらずんば、将来の政局に当たることはできないとの意気込みであった。しかし、諸藩の多くは、長州征伐は不可であるとして、幕僚の意向に動じなかった。
その間、長州は、召喚に応じなかった。そこで、幕府は、諸藩に長州征伐の手配を定めて通達した。

直正公は、この機会に、これまでの軍備近代化の演習との位置付けでこれに応じた。

(コメント:現在の権力争いにも通じるところがあります。)

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