面会交流の方法が特定されていないとした決定が取り消され、特定されているとして間接強制が認められた例(東京高等裁判所H26.3.13。確定)(その2)
(その1)からの続き
コメント
1,本件では、子供たちは母親の愛情のもとに、元気に育っています。監護養育環境も主たる監護者であった母親のもとで継続してなされています。面会交流が子どもの権利であるとした場合、権利者たる子供は父親との面会交流を強く拒否しています。
「子の意思」を尊重すれば、面会交流は認められません。子供が面会交流を拒否しているのに、無理矢理面会交流を認めたとしても、子供に心理的ストレスを感じさせるだけだということになります。
従来の裁判所の考え方は、上記のようなものでした。母親の子供に対する監護内容について検討したものはほとんどありませんでした。
本件では、母親の監護内容について踏み込んで検討しています。父親が海外出張先から電話をした際に、わずか三歳の長女が「あっ、おやじだ。」と発言し、四歳の長男も「早く切れ。」と長女に命じてます。このような事例と類似した、子供たちが父親を毛嫌いするという家庭は、これまでの事案でも数多くあったのではないでしょうか。そして、裁判所としては、その監護養育の内容について検討したものはほとんどなかったでしょう。
裁判所としては、家庭裁判所に持ち込まれる家庭環境は千差万別で、両親の養育の内容についてまで立ち入る必要はない、母親が子供を養育すると言っており、それができる環境にあれば、それ以上立ち入る必要はないという態度だったと思われます。
本件では、母親の監護養育内容に立ち入って、3、4歳の子供が上記のような態度をとっていては、決して子供の利益にもならないと考えたものと思われます。
「面会交流は子供の権利だ」「子供の意思を尊重せよ」という主張も、子供がこれまでどのような環境で育てられ、性格を形成してきたかを抜きにして、スローガンとして強調しても、本来の子供の利益にはなりません。
2,なお、本件の家庭裁判所は、子供の引き渡し方法について特定されていないとして却下しました。
しかしながら、高等裁判所は、審判の主文のみならず、一件記録も検討して、事実関係を認定し、子の引き渡しの方法についても黙示の合意があったそして、審判主文は定められており、実質的に引渡し方法についての具体的な定めがあったと認定し特定している、としました。
本件家裁のような決定をする裁判官は多いのではないかと推測しています。本件高裁決定は、もう少し実質的に検討すべきである、としたものと思われます。
3,本件母親の子供らに対するやり方は、日本語で「洗脳」といいます。
「三つ子の魂百まで」と言う諺もあります。本件審判は確定しましたが、今後、面会交流がスムーズにいくか不安があります。うまくいかなければ、洗脳した母親の思う通りになったと言うこともできます。母親はそれでいいかもしれませんが、このような子供たちがどのような大人になっていくんだろうか、という不安感が湧いてきます。
これから、夫は、これまでの仕事一辺倒から「育メン」に比重を移していく必要がありそうです。そうすれば、万が一破局を迎えても、親権争いで少しはマシでしょう。本件みたいに子供が洗脳されてはどうしようもありません。
4、これがアメリカならば、母親は、裁判所の命令に従わないとして、法定侮辱罪に該当し、罰金・勾留されることになります。日本ではそうではありません。