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香焼島団結(長崎警備隊)を設けるー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-33-2)

香焼島団結(長崎警備隊)を設けるー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-33-2)

香焼島団結(長崎警備隊)を設けるー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-33-2)

第3編 政績発展
第11巻 更張(さらなる発展)事務整理
第33章 文教武備の発展
1841年(天保12年) 直正公28歳

  香焼島団結(長崎警備隊)を設ける

・文武不心得者に対して、病気療養中のものに準じて、減俸とした。すなわち、怠惰な者に対しては、減給した。

・長崎警備のために、香焼島に赴任するに当たっては、単身赴任とした。家族連れの赴任になると、どうしても家庭内の問題が生じ、警備もおろそかになると言う理由からであった。
・5人ずつを10組とし、1組に用船1艘ずつを備え、学問の講義をして読書に励み、用船に乗ってこぎまわり、外国船を打ち払うには、これに近づき飛び入り日本刀でなで切りにすると言う決死隊であった。
・香焼島の武士は名誉とされたが、服装は質素で、履物はワラぞうり、雨の際は杉下駄で、極度の質素であった。
・酒は厳禁とした。血気の青年が酒を飲んで喧嘩口論の末に、殺傷事件があったためである。

・外国船が来国し、事変の際は、決死をともにすることから、相互に真情をもって相親しまなくてはかなわないのであるが、そうでない場合もあるように見受けられると、直正公は訓戒された。

(コメント:「生死を共にする」:この言葉は、何年かぶりに目にしました。今では、昔の本でしか目にすることはありません。生死をともにするような結びつきは、家族であっても、今の日本では少ないようです。家庭裁判所は、繁盛しています。

今は、「自分の夢を実現する」「自分らしく生きる」「死ぬ時でさえ、尊厳をもって自分らしく死ぬ」と、なんでも自分で自由に決めることができるのが、良いのだと言う社会の雰囲気です。死んでも、自分らしく極楽に行きたいと言うことでしょうか。そもそも死でさえ、自分でコントロールできるいうことは、傲慢すぎる感じがします。
かって、沢木興道老師が、 1人念仏を唱えていた人に対して、「おい、お前独りで極楽へ行くのか?」と言ったいうのがありました。

香焼島団結のように、長崎警備に志願した武士は、否応なく、赤の他人の同僚と生死を共にすることになります。自分らしく生きることはできません。プライバシーもありません。しかし、強い連帯感は育まれるでしょう。
今は、ほとんど見られないようになりましたが、戦争から帰還した兵隊は、同じ釜の飯を食い、生死を共にしたためか、家族以上に絆が深かったような気がします。)

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