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先見の明とは何か? 困難にめげず、これをなすことー鍋島直正公伝を読む(3-15-45-1)

先見の明とは何か? 困難にめげず、これをなすこと(起業に当たって)ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-15-45-1)

第3編 直正公 政績発展

第4巻 砲台増築(嘉永3年=1850年~同4年=1851年)

第45章 大砲鋳造場の建設に着手

・先見の明とは何か? 困難にめげず、これをなすこと

・先見の明ありと言われるのは、後世の評価である。理想を思い描くのはむずかしいものではない。これをなすことがむずかしいのである。
長崎港外の伊王島・神の島に砲台を築き、長崎港を守るのは、文化(1804年)幕府の宿題であった。外国船がたびたび来航している今日、幕府・海防係からの諮問に対し、筑前・肥前両藩同意で、長崎防衛の遂行を建議したことも、決して先見なのではない。むしろ時機を逸したきらいがある。それなのに、幕府は、なおかつ躊躇(ちゅうちょ)し、諸藩に海上防衛を厳しく通達しながら、かえって、首を畏れ尾を畏るるの醜態を演じたのである。

 さて、我が藩独りで長崎砲台を増築すべしとの請願に対して、幕府が、大砲鋳造場の建設費用を一時的に支出し、鍋島藩が破産状態にならぬよう努力すべきは、日本防衛の任にある幕府のこれまでの歴史・慣行から当然の義務である。 それ故、直正公は、阿部閣老に、願書を差し出し、拝借金をお願いし、阿部もまたこれを承諾したのであった。されば、いやしくも常識ある幕府の官僚は、これに対し、できるだけの助力をあたえるのに異議はないはずである。

 しかし、幕府は、権力が衰えた今日まで、このような国家重大事に関わる英断を迫られたことがなかった。そのため、ケチな思いにとらわれ、目前の江戸湾防衛すら備えることがでできないほどの財政赤字状態であるとして、この請願を痛くいやがった。
思うに、房総半島警備の諸藩も、同様に海上防衛費を請求する事態となりそうな気配であったので、形式的考えにこり固まっている役人は、予想外の紛糾があることを予想して、本件事業着手前に、幾多の困難が生じてしまった。その結果、歴史上、直正公に先見の明の名誉を得させるに至ったのである。

(コメント:先見の明とは
・先見の明とは、広辞苑では「先を見通すこと」の意味です。しかしながら、著者の久米邦武の歴史的考察からすれば、そうではありません。先見の明と言われるような将来に対する見通し・考えも、その当時は、先見があったと言われる人以外にも、多くの人が同じ見通しを持っていたのです。
しかし、その見通しを実行しようと志し、その成功に向けてあらゆる手段を尽くし、長い時間をかけ、お金を投資し、難しい幾多の困難を解決して実現した人が、後の世の中から、「先見の明があった」と評価されるのだ、ということです。

 このような見方は、先見と言われる見通しが世の中で色々言われた当時の事情を把握し、その後どのようになっていったかの歴史的事実を継続して観察・把握して考察しなければ、出てきません。ブログ主にとっては、まさに炯眼(けいがん)とも言うべき見解です。

 実際考えてみれば、「先見の明があった」と言う言葉の使い方は、成功した事業に対して、後から評価して使います。新規事業を立ち上げ、成功してもいないのに、「先見の明あり」とは言いません。鋭い見方です。
現在、世の中が閉塞感があるためか、「起業・創業・スタートアップ」と行政側から数多く言われ、補助金が出されています。久米の「先見の明」に対する考察は、鋭いものがあります。

・なお、官僚といわれる人たちは、財政を守ることが第一なので、このような対応になるのでしょう。「先見の明あり」との名誉はさずかりそうにありません。官僚といわれる人たちの思考構造は、徳川時代も今も変わりません。

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