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出島のオランダ館の内装と接待、天保の薪水令、開墾などー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-12-36)

出島のオランダ館の内装と接待、天保の薪水令、開墾などー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-12-36)

出島のオランダ館の内装と接待、天保の薪水令、開墾などー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-12-36)

第3編 政績発展
第12巻 オランダ使節渡来
第36章 薪水令の警備(1843年天保14年、直正公30歳)

 ・この年8月、中国は英国に敗れ、上海等5港を開港し、香港を英国に譲る。  幕府や直正公も、出島の中国(唐)館から、中国開港を聞いて知っていた。

 ・幕府は、1825年の外国船打払令を改め、薪水を乞う者には、みだりに砲撃を加えることなく、これを与えることにした(天保の薪水令)。しかし、攻撃的外国船も予想されるので、警備はますます厳重にし、兵士、武器等を準備すべきこととなった。

・出島のオランダ館・オランダ船の内装と接待。執政鍋島安房が視察した報告。
キャップテン(カピタン)の部屋:5.4メートル×6.3メートルの大広間で、床にはきれいな絨毯が敷かれ、四方の壁にはジャガタラ絵が掲げられ、天井中央にはシャンデリア(ガラスの吊燈籠)がつってあった。
キャップテンは、部屋の入り口に迎えて目礼し、一同着席のうえ、改めて来館を喜ぶ挨拶をした。佐賀藩の者は、「面倒にあいなり、気の毒に存ずる」旨の返答をした。
キャップテンは、いすに座って、まず、日本茶を勧め、6種類の銘酒を切り子の瓶に入れ、グラスを添えて銘々に接待した。シロップやパンを盛って、好みのまま取るに任せた。座興として、尾長猿をみせ、さらに幕府への献上品をみせた。白銀製食器・茶器で美麗を極めたものであった。また、ビリアードの遊技場も一覧した。
中国館も訪問したが、狭く、雑草も生い茂り掃除が行き届かぬようであった。

・オランダ船の様子:船長室は6畳くらいでテーブルと4脚のいすがあり、テーブル上には銘酒が用意してあった。オランダ館と同様の接待を受けた。
船の台所では、牛肉を湯だししていたが、その臭いに辟易した。また、豚2匹がいた。

・幕府も筑前藩も、長崎警備の必要性を十分認識していたが、経費が巨額で話が進まなかった。直正公は、自力で防備強化をかんがえるようになった。

・当時の砲術は、実戦向きではなかった。
大砲は、台座に砲門を据えたに過ぎなかった。発射するには、火薬力、反動力、射程距離と勾配を測量し、精緻な数学を必要とした。そこで、直正公は、簡単に操作できる西洋火術を研究するよう求めた。

・大野原の土着(不毛の地の開墾))
佐賀の北方に大野原という不毛の地があった。ただ水利が確保できれば開墾の余地があった。そこで、堤防付近に、50区画の宅地を造成し、藩の費用で家を建て、宅地には樹木を植え、畑を作り、居住を願い出た者にこれを払い下げ、希望があれば付近の土地も開墾所有させ、文武の教育をする学校、槍・剣の道場を作ることとした。希望者の人格・履歴等を検査した上、漸次住居させた。数年の間に百町あまり1村を形作った。これは、井内南涯の考案にでたものであった。

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