福岡での法律相談 山田法律事務所    

境界確定の訴え(江戸時代、佐賀藩と久留米藩との境界) 1ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-4-11-1)

境界確定の訴え(江戸時代、佐賀藩と久留米藩との境界) 1ー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-4-11-1)

弁護士

佐賀地図1

境界確定の訴え(江戸時代、佐賀藩と久留米藩との境界)1ー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-4-11-1)

第1編 公の出生以前と幼時

第3巻 齊直公の政治

第9章 文化の奢侈状態

・境界確定の訴え(江戸時代、佐賀藩と久留米藩との境界)その1

 

 

1、佐賀藩の東の境界は、久留米藩と筑後川を挟んで接している。佐賀藩の前身龍造寺の時代、佐賀藩は、筑後川の川原に十分の余地をとって、千栗(ちくり、地名)から朝日山(新鳥栖駅南にある山)の西のふもとまで大堤防を築き、筑後川の氾濫に備えた。これを千栗土居と称している。対岸の久留米藩は、東から流れてくる筑後川の屈曲する箇所にあたる低地にある。

久留米藩領は、肥沃の田地で川原に広く余地を与えにくく、しかも流れが屈曲するところにあるので、夏場の水量が多いたびに氾濫していた。そのため、この付近一帯の村々は、各家の梁(はり)に船をつるして、洪水に備えるほどであった。

ところで、久留米から対岸を望むと千栗土居は、老杉が長城のように見えるため、佐賀藩は、久留米の方を谷のように工事したとの疑いを持った。そのため、当時洪水に苦しんでいた久留米としては、不満を抱くのはやむを得ないところもあった。

そもそも、防水工事の場合は、境界を争って、お互い相手に不利になるように工事する事例は以前からあった。大河の土手工事では、争いは絶えなかった。

加えて、隣の柳川藩は、筑後川の下流にあるので、久留米藩と利害を共にし、我が佐賀藩に向かって、不利になるのを喜ぶ気持ちがあった。 よって、3藩境界の交渉は、常に絶えることがなく、沿岸の住民は、ややもすれば口論となり、境界担当の役所を煩わせることが多かった。今回の争いも、また同じ原因である。

2,1811年(文化8年) 8月初旬、鳥栖の筑後川沿いに住んでいる漁民が、久留米の瀬の下(地名:久留米水天宮の近く)あたりまで、網を投げて漁業をしていた。そこに、久留米藩の漁民が申し合わせて多数出てき、久留米藩内で漁をすることは違法と問い詰め、漁具を差し押さえ、漁民を追い返した。
その数日後、久留米藩の漁民が、佐賀藩の筑後川沿いで、網を下ろしたのを見届けるや、佐賀藩の漁民が、直ちにその場に向かい、ここは「佐賀・柳川両藩に属し、久留米藩内ではないのに、どうして勝手に網を下ろすのか」と問いつめた。

久留米藩の漁民は、「柳川藩番所の指図があった」と答えた。そこで、久留米藩の漁民を柳川藩番所まで連れて行き、交渉したところ、柳川藩役人は、かねて申し合わせていたのか、「柳川と久留米とは同じ国なので、同じく漁業をするのを許していた。」と答えた。その回答が、従来の慣例に違反するのに、あえてこれを問題としないため、佐賀藩の漁民は怒り、「数百年来の慣例をわきまえないのは、あるべき番人の見解ではない」として、これを殴打した。
これでもって、ますます事態は紛糾した。

 8月11日、佐賀藩の江見津の商人2人が、商用で久留米藩内に入ったところ、不法にも商品を取り上げられ、打ち捨てられた。江見津の村人は、これを聞き復讐として、12日の夜、久留米藩内にわたり、家屋4軒を打ち壊し、家財道具を破壊して帰ってきた。
一方、久留米領内の村々では、半鐘を乱打し、村民数百人が集まり、対抗策を議論して喧噪を極めた。他方、佐賀藩民は、久留米から逆襲があると速断し、また半鐘の鐘をかき鳴らした。

その結果、江口村から千栗までの騒擾が、ほどなく神崎駅まで及び、神崎の侠客6人は、白絞りの着物に白はちまきのをして、市武代官所に出頭して、「決死で事にあたらん」と訴えたので、これが佐賀城内にも聞こえ、喧嘩好きの紺屋町の消防などは、申し合わせてわらじを献上し、「加勢せん。」とあおり立てた。

3、13日から15日までの3日間は、互いに襲いかからんことを警戒し、かがり火をたき、ほら貝を吹き、竹槍、むしろ旗だけでなく、火縄銃の飛び道具や刀剣を集めて、闘争の準備をした。また、各所に炊き出しをしたので、さながら戦場の風景と異ならなかった。ただ、土民の集合で、武士は加入しなかった。

この間の衝突で、佐賀藩民で、久留米に捕獲せられた者は、久保四郎兵衛数人で、こっちも久留米の斥候4人と馬4頭を捕獲した。事ここに至れば、封建割拠の競争心で興奮し、しだいに気炎を上げた。
双方より役人が出張し、自分の藩民を説得し鎮圧に努め、ついに示談和解することに決定した。しかし、利害の衝突する漁場の紛争から生じたことなので、協議は数年にわたるも解決しなかった。
(2へ続く)

・記事の目次は、本ホームページの上の方の「鍋島直正公伝を読む」ボタンをクリック。