江藤新平の登場(脱藩・永蟄居)(2)ー明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-24-72 -2)
第5編 公の国事周旋
第24巻 国事周旋
第72章 国事周旋の内旨(文久2年 1862年 49才)
(続きから)
江藤新平の登場(脱藩・永蟄居)
・平野国臣に出会った江藤新平は、佐賀藩が沈黙して静まりかえっているのに耐えきれず、佐賀藩に一通の手紙を出して、脱藩(脱走)する。6月27日のことであった。29歳。
その手紙の概要は、
「薩長が京都に上り、諸藩の浪人どもが、ひたすら公武の間での周旋を得ようとしています。その結果が悪ければ、国は崩壊し、外国勢の攻撃を招いてしまいます。うまく処理すれば、国威をあげ、天下太平の基礎を定めることができます。今、まさに重大な時期です。災いを転じて、福となす手段はあるはずです。
・・・・、航海術がこれほど開発された今日、国体である鎖国という方針にたって、通商貿易を拒絶するようでは、方針を誤ることになります。一時の功名や激情に駆られて攘夷という結論を出されるならば、内乱・外患を招くことになり、まことに嘆かわしき次第です。
私など身分の低い少子が天下の大事を云々するのは越権限りなく狂気の沙汰でありますが、胸中に考えがあります。一日延ばせば、1日の困難となります。
これまでのご高恩の万分の1をも報いたいと断然決心し、お暇を願いたく候」
というものであった。