起業・経営には、概数で判断し、果断の実行力が必要だー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-42-2)
第3編 政績発展
第14巻 長崎砲台増築否決
第42章 幕府へ長崎砲台増築を建議す(1848年 嘉永元年、直正公35歳)
・支藩鹿島藩の藩主鍋島安次郎が神経病を発し、屋敷に引きこもりとなった。そのため、藩政は家老以下に一任し、不正が発覚し、江戸屋敷でも言語道断の行いがあった。他方、負債はかさみ、藩政は混乱した。そこで、幕府に願い出て、佐賀藩が、鹿島藩を直接指図することにした。
・2年前に新設した「国産方」は、佐賀藩内の生産物を増加し、これを大阪に転売し,また長崎貿易の輸出品とし、もって、国防費に充てるもので、ゆくゆくは植民貿易を開くものでもあった。
そこで、特に才能ある中村と丹羽を抜擢し、経営の才能ある者をその配下に置き、藩財政の増加に努めた。
かくて、御用達商人が有利と認めた事業は、直正公の了解を得た上、密かに実施し、時には投機的な事業も試みた。ただ、秘密のことで、詳細は分からない。しかし、これで、成功し、利益を得たものがあったことは事実である。
そこで、直正公を、大国主に似合わぬ「射利の君」「算盤大名」と揶揄するに至った。