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長崎 陸海軍伝習(講習)所での熱気ある講習状況ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-57-3)

長崎 陸海軍伝習(講習)所での熱気ある講習状況ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-57-3)

長崎での陸海軍伝習(講習)所の積極的な講習状況ー激動の幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(4-19-57-3)

第4編 開国の初期
第19巻 長崎陸海軍伝習
第57章 長崎におけるオランダ人講習(伝習)の開始(安政2年 1855年 42才)

・長崎 陸海軍伝習(講習)所での熱気ある講習状況

   ・6月、オランダ船2艘が、長崎に来港す。スームビンク号、ゲーテ号である。直正公は、待ちわびたていたことで、中村奇輔、石黒寛次、田中久重親子等の外、家来、水夫を、福岡藩も同様に派遣し、2藩で計90人に及んだ。

佐賀藩は、これまで研究・実験したことで、詳細な質問をしようと、「講習には、原書に引き合わせて質問したく、オランダ館に訪問したく、書籍を持参したい」との願いを、奉行所に願い出た。いつものように、キリシタン関係の質問はしないとの誓約書を書いて、手続きは極めて厳重であった。

オランダ人仕官も32人が滞在した。オランダは、スームビンク号を幕府に献上し、同時に、給料として年に銀210貫目を要求し、市中徘徊、宮参り、店での売買、出島の門も出入り自由との条件を出した。

・他方、公は、中村奇輔、石黒寛次、田中久重親子に、幕府が買い入れた蒸気船を検査・研究させたところ、「いかなる機械といえども、これを製造するは決して難しいことではない。」といって、蒸気船の製造を願い出た、公は、直ちに許可した。
8月1日から、その製造にとりかかり、内輪・外輪ふた通りの小蒸気船と、小蒸気機関車とを完成した。これは、現在 財団法人鍋島報效会にあります。

(コメント:時代の変革期で、中村奇輔、石黒寛次、田中久重親子らのチェレンジ精神と自信が伝わってきます。)

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