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長崎警備の起こり、佐賀藩の気風と学問教育ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-1-1.2)

長崎警備の起こり、佐賀藩の気風と学問教育ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(1-1-1.2)

鍋島直正公伝第1編

第1編 公の出生以前と幼時

第1巻 泰国公以前

第1章 佐賀藩の長崎警固の起こり

・長崎御番の起こり

 佐賀藩の長崎警備は、4月から9月までだった。これを隔年で福岡藩と担当していた。幕末以前は、オランダ船も帆船で季節風・貿易風で航海していたので、この季節以外は危険で来日できなかった。幕末以前は泰平であった。

第2章 佐賀藩の気風と学問教育

・鍋島元気と鎖封

 佐賀藩士は、強く猛々しい。これを「鍋島元気」という。
 徳川幕府の鎖国の上に、佐賀藩も鎖国政策、二重鎖国政策を取っていた。隣藩と往来しない。結婚しない。移転しない。物品を交換しない。風俗知識を輸入しない。

・佐賀の武士道と儒学

儒学は、程朱学であった。儒者は、頭を丸め、十徳を着て講義していたので、武士で学者になることを好む者はなかった。
 山本常朝は「葉隠」を著した。葉隠武士道の起源。

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