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面倒で利益を生む事業を他人に与えた場合どうなるか:幕府は薩摩に琉球貿易を許すー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-41)

面倒で利益を生む事業を他人に与えた場合どうなるか:幕府は薩摩に琉球貿易を許すー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-41)

面倒で利益を生む事業を他人に与えた場合どうなるか:幕府は薩摩に琉球貿易を許すー鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-13-41)

第3編 政績発展
第13巻 海防提議(防衛の提案)
第41章 幕府 長崎防備の意見を徴す (1846年 弘化3年、直正公33歳)

・この年、直正公の側近永山が44歳で、井内が63歳で亡くなる。長崎防衛にため、田中半右衛門を任用する。

・3月、イギリス軍艦が、次いでフランス軍艦が、琉球・那覇に入港する。恐怖を感じた琉球は、薩摩に連絡し、薩摩藩は、幕府の老中阿部に対し、「フランスが求める貿易を拒否すれば、不測の事態を生ずる。よって、薩摩藩に琉球限りの貿易を許して、彼らが内地に入り来るのを防止すべきである。」と謀った。これに対して、幕府官僚は、薩摩藩が、これを幸いに、支那貿易を復興するものと猜疑した。しかし、老中阿部は悩んだ末、薩摩に同意した。

・5月には、アメリカ軍艦2艘が、浦賀に来航し開港を要求した。幕府は、我が国は貿易を禁じているので、いくら来ても無駄である、外国との応接は長崎に限る、と侮蔑した態度をとった。これは、後日、アメリカのペルリ提督来港のきっかけとなった。

・フランス軍艦が、長崎に寄港し、朝鮮を経て、インドシナへ帰った。

・朝廷は、これまでの政治不干渉の方針を排して、海防について勅諭を発した。幕府は、これに対して、これまでの事情を上聞した。これは、まさに武士が政治を専断していた幕府の権威が薄らいだきっかけとなった。以後、幕府は、外国のことに関して、勅裁を仰ぐ道を開くことになった。

・正妻盛姫には子供がなかったので、国老鍋島周防茂慶の娘お濱を御通女中となし、お濱から男の子が生まれ、これを直大と名付ける。

(コメント:初めて、朝廷が、歴史の表舞台に登場してきます。
・幕府は、面倒な外国との貿易を薩摩に許して、富を増大させ、自らが滅びるきっかけを与えたともいえます。面倒なことで利益を生む事業を他人に与えた場合の結果がどうなるか、考えさせられます。
・江戸時代は、40代で亡くなる人もいて現代とは死生観が異なる気がします。)

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