
JR久留米駅前 からくり儀右衛門の時計
東芝の祖・田中久重の生涯現役の83年の人生(1)からの続き
6,1876年(明治9年)、妻与志が亡くなります。
続いて、政府工部省が、田中製造所を、買収して官営事業にします。
その後、田中は、 1881年(明治14年)、亡くなります。享年83歳。
碑銘は、鍋島直正公伝の作者久米邦武が書いています。当時元老院議長であった佐野も田中を称える漢詩を贈っています。
7,田中が亡くなった翌年の1882年(明治15年) 、養子の田中大吉が東京芝浦内に「田中製造所」という名称で工場を建設します。これが東芝の前身芝浦製作所です。
田中の門下からは、現在一流企業である池貝鉄工、自転車メーカーの宮田工業、東洋通信機、アンリツ、明電舎、沖電気などが出ています
8,科学史の今井健治教授は、「田中の磨き抜かれた優れた製作技術は、単に手先の器用さや根気の強さによってもたらされるものではなく、数理的な構想力が原動力であった。その構想力は、天体から人体に至る自然界の運動に対する広範で鋭い考察の所産である。」と述べています。その現れが、江戸時代時計技術の最高の達成度である万年時計です。「高度の天文暦学の素養と西洋の時計技術の精髄を積極的に盛り込もうとしたものであった。」とも述べています。万年時計については、こちら
このブログは
科学技術史の立場から書かれた今津健治著「からくり儀右衛門」ダイヤモンド社
久留米出身の偉人との位置づけで書かれた林洋海著「からくり儀右衛門」現代書館
によります。両方ともお薦めの本です。