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東芝の祖・田中久重(久留米)生涯現役83年の人生(2)ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78-番外)

東芝の祖・田中久重(久留米)生涯現役83年の人生(2)ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78-番外)

東芝の祖・田中久重(久留米)生涯現役83年の人生(2)ー幕末・明治を生きた日本人群像・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(5-26-78-番外)
からくり儀右衛門

JR久留米駅前 からくり儀右衛門の時計

東芝の祖・田中久重の生涯現役の83年の人生(1)からの続き

 

6,1876年(明治9年)、妻与志が亡くなります。
続いて、政府工部省が、田中製造所を、買収して官営事業にします。
その後、田中は、 1881年(明治14年)、亡くなります。享年83歳。
碑銘は、鍋島直正公伝の作者久米邦武が書いています。当時元老院議長であった佐野も田中を称える漢詩を贈っています。

7,田中が亡くなった翌年の1882年(明治15年) 、養子の田中大吉が東京芝浦内に「田中製造所」という名称で工場を建設します。これが東芝の前身芝浦製作所です。
田中の門下からは、現在一流企業である池貝鉄工、自転車メーカーの宮田工業、東洋通信機、アンリツ、明電舎、沖電気などが出ています

8,科学史の今井健治教授は、「田中の磨き抜かれた優れた製作技術は、単に手先の器用さや根気の強さによってもたらされるものではなく、数理的な構想力が原動力であった。その構想力は、天体から人体に至る自然界の運動に対する広範で鋭い考察の所産である。」と述べています。その現れが、江戸時代時計技術の最高の達成度である万年時計です。「高度の天文暦学の素養と西洋の時計技術の精髄を積極的に盛り込もうとしたものであった。」とも述べています。万年時計については、こちら

このブログは
科学技術史の立場から書かれた今津健治著「からくり儀右衛門」ダイヤモンド社
久留米出身の偉人との位置づけで書かれた林洋海著「からくり儀右衛門」現代書館
によります。両方ともお薦めの本です。

(コメント:すごいです。時代の最先端の機関車や蒸気船の模型は、4 ・50代に作っていたかと勝手に思っていましたが、 60歳前後くらいです。

当時、汽車も走っていなかった時代に、75歳になって、田舎の九州・久留米から東京に上って起業するというのもすごいです。新幹線が通っている現代でも、75才で久留米から東京に上って起業すると言う気概がある人は、 1万人に1人もいるでしょうか。そして、上京して起業しても、そう簡単に仕事はなく、借金でしのいでいます。現在、田中のような人を見つけるのは困難でしょう。

・田中の一生を見てみれば、息子と孫を同時に惨殺されるという悲劇にもあい、田中を佐賀藩から久留米藩へ呼ぶのに尽力した後ろ盾の今井が切腹させられ、ガチガチの尊皇攘夷の久留米藩内で、外国の最先端の知識を求めて事業化するという田中は、活躍する場を閉ざされます。そして、75才になって東京に出ていってもおいそれと仕事はなく、「なんでもやります。」という苦労を重ねます。加えて、事業が軌道に乗ったところで、国による買収です。大変な苦難・障害の連続です。「遊ぶ」ことを知らず、仕事一辺倒の田中は、せっかく軌道に乗った事業が官営化され、肝心の仕事を奪われ、かなり気落ちしたようです。

 どうも、NHKが「老後破産」を放送して以来、日本で目につくのは、「死ぬまで○○千万円」必要だ、そして自分の老後をどうするのかが老後の目標というか生きがいみたいな社会の雰囲気です。あるいは、地域社会に参加するというような生き方の紹介・勧めです。しぼむ一方の生き方です。閉塞感が高まります。そうやって、老後の準備をしても、その準備通り行くかどうかはわかりません。多額の貯金を残して予想外に早く死ぬか、あるいは難病で保険がきかない新薬の治療を受けて苦しみつつ預金が枯渇し、今後の医療費の支払いに心配して絶望しつつ亡くなるか、わかりません。

 以前からあった「終活」も同じです。終活なんて用意したら、後は死ぬのを待つばかりです。存在価値がなくなってしまいます。若い弁護士も、所詮他人事で、遺言書作成や遺言執行者の仕事があるものだから、盛んに勧めます。

 現在よりも、もっと厳しい社会環境のなかで、田中久重みたいに、77才で九州から上京して起業するような人がいて、文字通り一生を機械・科学の発展に捧げた人がいたことを思うと、閉塞感が漂う現代、元気が出ます。田中には、「老後どうするか」「死ぬまでいくら貯金しておこうか」「地域社会にどう溶け込むか」「老後、病気になったらどうするか」そんな発想・心配はしなかったでしょう。文字通り、死ぬまで、仕事のことを考えていたのでしょう。

田中の肖像画は、ココ 前期高齢期頃(?)と後期高齢頃(?)とは、容貌がずいぶん違います。

・なお、田中は、親族のほか同僚中村の息子も養子にして色々と面倒を見、人材を育てています。これも特徴です。)