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贅沢禁止令(倹約令)を発し、ブランド物禁止令(衣装法度)を発すー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-34)

贅沢禁止令(倹約令)を発し、ブランド物禁止令(衣装法度)を発すー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-34)

贅沢禁止令(倹約令)を発し、ブランド物禁止令(衣装法度)を発すー再建の殿様・鍋島直正公伝(久米邦武著)を読む(3-11-34)

第3編 政績発展
第11巻 更張(さらなる発展)事務整理
第34章 幕府改革と財政民政整理

・直正公は28歳 将軍家斎が薨去   将軍は家慶 老中は水野越前守   海外では、英国が香港占領

  佐賀藩では、倹約令(贅沢禁止令)を発し、衣装法度を発す。

 衣装法度とは、木綿の服の着用を強制し、いかなる富豪といえども木綿の服を着用し、絹服の着用を許さず、かんざしにも銀の使用を禁じ、この規則を破った者には、懲罰を加える。
この衣装法度を施行するために、人が集まるところに、目付・番人が出張して、法度に違うものがあれば、容赦なく部屋に引き入れて衣装を剥ぎとった。武士の妻子にも衣服を剥がれ、銀のかんざしを抜きとられた者も少なくなかった。

中には、上着をはげば下着が現れ、これをはげば、さらにその下に下着が現れ、しまいには襦袢まで剥ぎ取られて裸にされた者もあった。
このように衣装法度は、厳密に施行されたが、直正公が率先して実行したこともあって、これを恨む者もなく、かえって法度の違反者をそしる等、制裁は自然に行われた。
また琴・三味線などの音楽を一切禁じたため、土倉の中で密かに稽古することとなった。
さらには、起床・就寝時間にも干渉し、日の出後も戸を開けない家には、たたき起こしたこともあった。

武士の家でも質素を旨とし、木綿でも縞柄等目立つものを用いれば、組内で注意し、改めない時は、家内不取り締まりをもって詰責を受けた。
従って、芸者や酌婦も佐賀領内から放逐せられ、料理人は転業し、芝居・見せ物・講談・寄席などはすべて禁じられた。
このように厳格な倹約令は、佐賀藩民が文化以外の困窮に鍛えられた結果であるということができる。

 他方、江戸でも、水野老中が、花柳界の華奢な衣類を剥ぎ取り没収し、芸者30人をとらえて牢獄に投じ、手錠預けとしたことがあった。花柳界の華奢は、漆塗りの駒下駄に香を炊き込め、銅の湯たんぽをはめ込むなど奢りを競い合うものであった。
江戸の場合、水野は市中の妬みを招き、失職した。これは、将軍の大奥や大名が依然奢侈を競っていたのに、花柳界ばかり取り締まったからである。
佐賀藩の場合は、直正公が率先して質素な生活をしたため、不満は出なかった。絹服は、佐賀藩江戸屋敷の姫君の住居内だけであった。

(コメント:相当厳しい贅沢禁止令です。佐賀人が地味なのは、ここにルーツがあるのでしょうか?
社会主義国みたいです。みんなが貧乏だと、そんなに不満はないのでしょう。貧富の格差があれば、ねたみもうまれ、不満が噴出すると言うことでしょう。)

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